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配信シリーズ『KING MINYO FOLKWAYS』戦後復興期に産み出された民謡SP盤からMINYOソングを厳選。第2弾は「じょんがら坊様篇」「オーケストラ民謡にしひがし篇」
SOUND FUJI 編集部
2026.9.2
キングレコードで戦前、戦後復興期に産み出された、幾多の民謡SP盤。
その膨大なライブラリーの中から、厳選されたMINYOソングを紡ぎ、束ね、マンスリーで全世界に発信するシリーズ『KING MINYO FOLKWAYS』が発足。
今シリーズの監修には、今を時めく世界的ミクスチャーバンド「民謡クルセイダーズ」リーダーでギターリストの田中克海、そして音楽渉猟人(民謡及び日本音楽研究と紹介)やDJとして大活躍中の菊原清史(DJ/パラクシュ)、と草分け的存在の2名を起用。
第2弾は「じょんがら坊様篇」「オーケストラ民謡にしひがし篇」の2タイトルが、9/2(水)よりダウンロード/サブスクリプション配信開始!

本企画の発足に際し、監修者である田中克海、菊原清史よりコメントが寄せられた。
KING MINYO FOLKWAYS発足によせて
「老舗レコード会社の倉庫」

好きモノにとってこれほどロマンに満ちたパワーワードがありましょうか。
私、田中克海、民謡クルセイダーズ(以降 民クル)という日本民謡に関わるバンドを始めたことで、
お金を出しても決して買えない、貴重な機会を沢山いただいている稀代のラッキーボーイでありますが、
今回は特にすごい。
なんと1931年創業のKING RECORDSの広大なアーカイブの中から、
『民謡SP盤(78rpm)』を軸にした楽曲をまとめて一気に配信する。という最高すぎる企画のお話をいただき、
2026年1月、膨大な音源が保管されている地下倉庫に居て、高く積み上げられたSP盤を前にしています。
思えば、民クルの着想の原点ともいえる音源の一つといえば、
キングレコードのトップアーティスト、江利チエミの「奴さん」(1960年発売)なのです。
エゴラッピンの森さんが監修した、ジャマイカ音楽とその周辺を紹介した名オムニバス「Rock A Shacka Vol.3Move! Babymove! 森ラッピン セレクション」に収録されたこの曲、
もとは江戸時代に歌われた端唄を、中村八大バンドが大胆にアレンジ。
トッポいコンガ入りのスィング感満点のラテン4ビートに、夜を彩るストリングス、キザなギターで綴った
「ナイトキャバレーJAZZ」とでも言える活きの良いバンドサウンドに乗って、チエミさんの気風の良い歌声が響き渡った名演です。
このオムニバスの中で、スカ、カリプソ、JAZZ、R&Bなど、国とジャンルを超えて繋がれるグッドミュージックと肩を並べ、「日本民謡」が大衆音楽として同じヴァイブスを持ちながら、しっかり独自の存在感を放ち、
“今、楽しめる音楽”として納められていることに希望と勇気をもらえた瞬間でした。
その後出会ったのも、民クルで最初にトライすることになるキングJAZZ民謡音源の最高峰2曲。
江利チエミの10インチ「串本節」(58年)と、1954年にしてスタイルを確立していた林伊佐緒のSP盤「真室川ブギ」。
また、それ以前には「和洋折衷」という、三味線などの和楽器とアコーディオン、バイオリンといった洋楽器のアンサンブルで民謡や流行歌を演奏するミクスチャー系あり、当時のアイドル「お座敷芸者」が歌うオシャレな民謡があったかと思えば、ご当地の歌の名手が吹き込んだ珠玉のガチローカルスタイル民謡などなど。
当時の音楽産業がレコードによって大きく華開いていった情景が、音源を1曲知るごとに明らかになっていくのでした。
そして更にその向こう側には、いよいよ記録技術がなかった頃に、生活の中で現れては消えていった日々の歌があった筈です。
改めて、キングの民謡音源に出会わなければ、自分の日本音楽への想いも別のモノだったかもな、、
そんなことをボンヤリ思っているうちに、目の前のSP盤の山はさらに積み上げられていくのでした。
今回、この貴重な機会をくれたのは20年以上前、民謡の”み”も知らなかった頃からの
中央線ルーツミュージック界隈の酒と音楽のマイメン、KING RECORDS 奥村さん。
そして自分のキャパシティを優に超えている今回の企画を奥村さんから受けた時、最初に頭に浮かび、声をかけたのがDJパラクシュさん。
堆く積まれたSP盤の山を丹念に紐解きながら、最後まで集中力を切らさず一枚一枚と向き合い、混沌とした中に道筋を示していく姿は、この倉庫ダンジョンを突き進む勇者の様です。
今回のKING MINYO FOLKWAYSシリーズが、キングレコードのアーカイブのみならず、
文化資料が眠る日本中の倉庫の扉をこじ開ける起爆剤になります様に!
KING MINYO FOLKWAYS。どうぞたっぷりお楽しみください。
民謡クルセイダーズ/田中克海
King初期民謡録音を巡る旅〜
倉庫に眠るSPレコードを掘り起こす

「大自然は歌っています」
かつて“民謡普及の父”と呼ばれた尺八演奏家・民謡指導者の後藤桃水氏は、その著書の冒頭にそう書き残しました。
それまで単に「うた」や「鄙唄(ひなうた)」、「俚謡(りよう)」、田舎唄、百姓唄などと色々に呼ばれていたものを、明治の末頃、全国大会を開くにあたって呼び名を統一しようと、東京神田猿楽町の道場にて考えを巡らせていた歳の頃二十五の桃水氏。
「ミンヨウ、ミンヨウ」
と聞こえてきたセミの声に咄嗟に「民謡はどうだ」と声を出し、周りも「妙案、妙案」とまとまった。
自然の歌を聞き取る人々、すなわち、種蒔きの時期を暦だけでは無く自然の音からも判断するような人々の感受性によって歌われ、育まれていったとも言える民謡。それは、遠方からでもわかる樹齢五百年の大木の迫力だったり、路上でふと目を惹く素朴な草花のような魅力も持っています。
私たちは今回、キングレコードの倉庫に収集・安置されたカタログ的には一部ですが、民謡SPレコード二百枚四百曲ほどをすべて聴き、数回に分けて選曲・紹介するという願っても無い機会を頂きました。
キングレコードの民謡リリースの歩みをたどる試みは、日本の録音史を含む近代史そのものでもあり、音盤に記録されたものを、100年近い時間の経過と戦争という混乱を経た現代において掘り起こす、なかなかの難作業ともいえます。
当時の録音を聴きながら、生々しい声、熟達した演奏、意外なアレンジにも期待通り出会う事となり、倉庫に籠る興奮の上に興奮を重ねる、大変刺激的な時間をキングの担当奥村さん、民謡クルセイダーズの田中さんと共に過ごさせて頂いたのち、この度の企画を、「KING MINYO FOLKWAYS」と楽しく名付ける事も出来ました。
未だ未収蔵のSPレコード、各販売店によって添えられたという今回参照出来なかった歌詞カードなど、まだまだ新しい発見の数々が期待出来る道中です。
キングレコードは現在の講談社の音楽部門として1931年(昭和6年)の創立。エジソンらによって音を録音する技術が生まれてからすでに半世紀ほどが経つものの、映画が無声映画から音のあるトーキーへとようやく移り変わる過渡期でした。SPレコードが映画や舞台のサウンドトラックとしても活躍していた時代です。
当時、100万部を超えていた講談社の看板雑誌『キング』から名をもらい、戦時中には「富士音盤」と名を変えざるを得なかった状況があったことは、正に「サウンド・フジ」の名にも継承されています。
さて、当時の録音メディアであるSPレコードですが、カセットでもビニールレコードでもなく、カイガラムシ分泌の天然樹脂を主成分として作られており、重くて硬く、落とせば簡単に割れてしまうメディアです。(シェラックと呼ばれるこの原料は、現在は薬やチョコなどのコーティング剤に使われています!)
私たちが現在各地の「民謡」として認知しているものの多くは、まさにこのSP盤の時代に録音され、全国へと広まっていきました。
第一次世界大戦の一時的好景気による国内旅行や観光の盛り上がりとともに、「ご当地のもの」として民謡は注目を集め、江戸の粋を伝えるお座敷を飛び出した「うぐいす芸者」と呼ばれた歌手たちも次々とデビュー。民謡を唄い込んだ喉で、同時代の流行歌も支えていくことになります。
その後、戦争の混乱を経て、1951年にキングレコードは講談社から独立・再編されました。
多くの貴重な資料や音盤が主に戦争で散逸してしまいましたが、アナログの価値が見直されているいま、改めてSPの音を聴くと、針先からは「サー」という、原料に含まれる強度を保つために入れられた鉱物粉特有のノイズも流れますが、蓄音機から聴こえてくる歌声は驚くほど豊かで、耳だけでなく全身に響き渡る唯一無二の音響です。
私自身、今回のお話を頂く直前にフロア型の蓄音機を購入しており、その驚きを圧倒的な実感と共にお伝えする次第です。
今回皆さまにご紹介する音像の数々には、時代の変転や録音時間の制約を超え、世界に響く普遍的で魅力的な日本の風土が豊富に宿っています。
SPレコードに鉄針を落とし、手廻しの蓄音機から直接と言うわけにはいきませんが、土地の旋律と歌詞をゆっくり味わいながら、自分の爺さん婆さんが歌って踊る様を想像したりと、皆さまにとっても最も親密な歴史を掘り起こすきっかけとなれば幸いです。
菊原清史(DJ/パラクシュ)
▼配信リンク
https://bio.to/kingminyofolkways
<第2弾ラインナップ>
『KING MINYO FOLKWAYS – SP街道を行く#3/じょんがら坊様篇』

<収録曲>
1.津軽三下り Tsugaru Sansagari – 成田雲竹女 (三味線:白川軍八郎) [青森県民謡] /1955年録音
2.津軽じょんから節 Tsugaru Jonkarabushi – 齋藤修一 (三味線:長谷川竹太郎) [青森県民謡] /1948年録音
3.おこさ節 Okosabushi – 楠美武蔵/齋藤修一/新岡芳造 (三味線:白川軍八郎) [秋田県民謡] /1948年録音
4.津軽じょんがら節 Tsugaru Jongarabushi – 葛西千恵子 (三味線:木田林松栄) [青森県民謡] /1954年録音
5.津軽よされ節/津軽じょんがら節 Tsugaru Yosarebushi/Tsugaru Jongarabushi – 三味線:木田林松栄 [青森県民謡] /1954年録音
6.津軽よされ節 Tsugaru Yosarebushi – 齋藤修一 (三味線:長谷川竹太郎) [青森県民謡] /1948年録音
7.津軽三下り/津軽あいや節 Tsugaru Sansagari/Tsugaru Aiyabushi – 三味線:木田林松栄 [青森県民謡] /1954年録音
8.津軽ワイハ節 Tsugaru Waihabushi – 成田雲竹 (三味線:高橋竹山) [青森県民謡] /1953年録音
9.津軽弥三郎節 Tsugaru Yashaburoubushi – 成田雲竹 (三味線:高橋竹山) [青森県民謡] /1953年録音
10.津軽あいや節 Tsugaru Aiyabushi – 成田雲竹女 (三味線:白川軍八郎) [青森県民謡] /1955年録音
11.津軽おはら節 Tsugaru Oharabushi – 今重造 (三味線:白川軍八郎) [青森県民謡] /1955年録音
12.本荘追分 Honjo Oiwake – 佐藤サダエ (三味線:浅野梅若、渡部嘉章) [秋田県民謡] /1956年録音
13.荷方節 Nikatabushi – 永沢定治 (三味線:浅野梅若) [秋田県民謡] /1952年録音
[解説:菊原清史(DJ/パラクシュ)]
「白川軍八郎 高橋竹山 浅野梅若 木田林松栄」
今回の「じょんがら坊様篇」にてそれぞれの音色を響かせる主な三味線奏者(1909年〜1911年生まれ)です。
彼らの師匠、または師匠の師匠こそ津軽三味線の創始者であり、霊峰岩木山を付け根に持つ津軽半島の現在の五所川原市金木町神原に生まれた仁太坊(にたぼう、1928年没)です。
日本の伝統芸能を思い浮かべると思いの外、遠くない時代の生まれでありつつも、様々な芸能を取り込んで圧倒的な世替わりを生き抜くために叩き上げられたのが津軽三味線でした。
現代に生きる身にはほとんど関係ないと感じられるほど遠い昔とも言える、1868年の明治維新。そのインパクトは、知れば知るほど強烈に現在を構築しています。
文明開花の名の下に、明治政府は西洋の思想と技術を積極的に取り入れるだけに留まらず、進歩の名の下に古き慣習を禁止するような強硬政治も行なっていました。盆踊りの禁止もその一例ですが、津軽では弘前県そしてまもなく青森県となって、政府からりんごの苗木が支給され産業に育っていくのもこの頃です。女人禁制だった岩木山も、全国の霊山と同じく解放された点も大きな世変わりの一例でしょう。当時の王政復古思想による廃仏毀釈の嵐、後の神社合祀運動などは南方熊楠の反対運動で有名ですが色々とキリがありませんネ。
さて仁太坊は幼少期に病気で目が見えなくなり、芸事で身銭を稼ぐ運命を背負っていくしか無くなります。世替わりによる当道座という芸能者を含む盲目集団の解体によって、身分関係無く芸事に触れる事が出来る様になり、様々な芸風が野に出回る事ともなりますが、修行僧である虚無僧にしか扱えなかった尺八も普化宗解体と共に解放されました。「諸国民謡巡り篇」の解説で話した後藤桃水は、尺八修行の虚無僧行脚中全国の民謡の魅力に気づいていったといいます。
さて仁太坊の三味線は、幼少期に触れた瞽女三味線に憧れて中棹の三味線から始まりますが、義太夫節の太棹の迫力に出会うと、三味線を太棹に変え進化していきます。仁太坊が義太夫三味線を見出した様に、世に溢れた芸能者の中で目立つ必然から芸は磨かれていき、彼の元に弟子が集まりだしていきます。
時代の必然性でしょうか、仁太坊の性分でしょうか、弟子達には独自の三味線を弾かせる事が仁太坊の教えでもありました。直弟子の白川軍八郎は仁太坊の叩き三味線に対し流暢な弾き三味線を生み出します。仁太坊の録音は残されませんでしたが、弟子の活躍期はSP時代と重なり、かなりの録音が残されていて、個を競う津軽三味線、出会える限り聴いてみたい衝動に駆られます。
津軽三味線の仁太坊という一匹狼の遺伝子が本質的に組み込まれている事をこの機会に私も初めて知りました。文章の最後ではありますが、大條和雄氏の「津軽三味線の誕生」という本から今回多くを知った事、更に多くの知識を竹内勉氏の「日本民謡辞典」などの著作より与えて頂いている事をここに感謝と共に明記させていただきます。
『KING MINYO FOLKWAYS – SP街道を行く#4/オーケストラ民謡にしひがし篇』

<収録曲>
1.北海たんと節(上) Hokkai Tantobushi(Jou) – 今井篁山 (編曲者: 山口俊郎) [北海道民謡] /1953年録音
2.秋田甚句 Akita Jinku – 斎藤京子 (編曲者: 山口俊郎) [秋田県民謡] /1957年録音
3.会津磐梯山 Aizu Bandaisan – キングオーケストラ (編曲者: 小町昭) [福島県民謡] /1959年録音
4.眞室川音頭―ブギ― Mamurogawa Ondo-Boogie- – 林伊佐緒 (編曲者: 林伊佐緒) [山形県民謡] /1953年録音
5.おこさ節 Okosabushi – 斎藤京子 (編曲者: 山口俊郎) [秋田県民謡] /1955年録音
6.おこさ節―ルンバ― Okosabushi-Rumba- – 林伊佐緒 (編曲者: 林伊佐緒) [秋田県民謡] /1953年録音
7.米山さんから Yoneyamasan kara – 照菊 (編曲者: 林伊佐緒) [新潟県民謡] /1956年録音
8.さのさ Sanosa – 照菊 (編曲者: 林伊佐緒) [俗謡] /1956年録音
9.相馬盆踊り唄 Soma Bonodoriuta – 平野繁松 (編曲者: 山口俊郎) [福島県民謡] /1953年録音
10.―草刈唄―なんだこらよ -Kusakariuta-Nan da Kora yo – 三橋美智也 (編曲者: 山口俊郎) [福島県民謡] /1956年録音
11.安来節 Yasugibushi – 豆太 (編曲者: 山口俊郎) [島根県民謡] /1949年録音
12.日光和楽踊り Nikko Waraku Odori – 音丸 (編曲者: 山口俊郎) [栃木県民謡] /1952年録音
13.北洋節 Hokuyoubushi – 今井篁山 (編曲者: 山口俊郎) [北海道民謡] /1953年録音
14.炭坑節 Tankoubushi – 日本橋きみ栄 (編曲者: 山口俊郎) [福岡県民謡] /1953年録音
15.ルンバ五木子守唄 Rumba Itsuki Komoriuta – 林伊佐緒 (編曲者: 林伊佐緒) [熊本県民謡] /1954年録音
16.常磐炭坑節 Jouban Tankoubushi – 日本橋きみ栄 (編曲者: 山口俊郎) [茨城県民謡] /1953年録音
17.ブルースひえつき節 Blues Hietsukibushi – 林伊佐緒 (編曲者: 林伊佐緒) [宮崎県民謡] /1954年録音
18.男なら Otokonara – 音丸 (編曲者: 山口俊郎) [山口県民謡] /1954年録音
19.沢内甚句 Sawauchi Jinku – 斎藤京子 (編曲者: 山口俊郎) [岩手県民謡] /1958年録音
20.生保内節 Obonaibushi – 佐藤節子 (編曲者: 山口俊郎) [秋田県民謡] /1960年録音
21.北海たんと節(下) Hokkai Tantobushi(Ge) – 今井篁山 (編曲者: 山口俊郎) [北海道民謡] /1953年録音
[解説:菊原清史(DJ/パラクシュ)]
「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」
当時流行りの七七七五調に乗って謳われた文句の通り、ちょんまげバッサリの断髪令が下った明治の世替わり。日本の音楽教育はアメリカからの輸入に始まり、現場の教師たちが奮闘する中で西洋音楽が教えられ、「唱歌」という先進国の民謡などに日本語を乗せた歌が義務教育化されていきました。
政府お墨付きの学徒たちは、「東洋のパリ」「魔都」と当時呼ばれた上海を経由し、西洋音楽の本場ヨーロッパへ留学。その成果を日本に還元することを使命としました。また、音楽都市・上海のダンスホールは演奏家たちの憧れの地でもありました。食っていくためでもあった西洋化を人々が受け入れていく時代を経て、SPレコードの時代を迎える頃には、オーケストラ演奏は最先端でありながら当たり前の大衆音楽となっていたのです。オーケストラ民謡にしひがし篇
一方で、主に唄一本でうたい継がれてきた「再発見された民謡」は、一部の愛好家に熱狂的に迎えられつつも、一般的には「時代遅れの堅物」と見なされるのが実情でした。しかしラジオやレコードを通じて次々と紹介され、西洋帰りの作曲家たちによっても「こきりこ節」のように発見される例も登場します。明治の世替わりを経て大正、昭和へと時代が流れる中、民謡を取り巻く環境はまさに混沌を極めていました。
本来、民謡の歌と西洋和声の澄んだ構造は水と油でしょうか。双方の歩み寄りが時代と同様必要であった事は確かです。オーケストラの編曲者は、民謡の持つ独特の「揺らぎ」をそのまま活かすか、それとも五線譜通りの発声ができる流行歌手や芸者を起用して歌い方を矯正していくか——そんなせめぎ合いが実際にあったか知らないけれど、うまく噛み合ってマジカルと言える音源を今回の「オーケストラ民謡にしひがし篇」に集める事が出来ました。
特筆すべきは、時代の空気を表現した歌詞の数々、その中でも「ユートピア」という当時輸入したての概念が、しっくりハマっている「新たんと節」の今井篁山は北海道民謡の父と言われておりますが、民謡を時代の流れに活かした実に後世に語り継ぐべき偉人と言えるでしょう。民謡の持つ即興性が時代の流れに乗る心地よい実例の一つです。
更には音楽大学に通ったモダンボーイの林伊佐緒による突き抜けた民謡アレンジと自身による歌唱もまた時代を映して煌びやかですし、「じょんがら坊様篇」でも紹介した白川軍八郎の弟子である中から東京に出て圧倒的美声でキングレコードの看板となる三橋美智也の存在は民謡を超えて一時代を築いていきます。
時代の波に洗われることなく、むしろその波を乗りこなしたSP時代のオーケストラ民謡、それらはこれからも少しずつ再発見されていくでしょう。しかし、その急速な近代化の波によって絶滅した「日本オオカミ」のような無数の歌や芸能の存在こそ、過剰に洗練された現代の私たちから見れば、ひとつの「ユートピア」に見えるのかもしれません。

