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三上寛インタビュー「あの頃、みんなピラニア軍団に引き寄せられたんだ」

文:真鍋新一/写真:Ryoma Shoumura

2024.10.10

アルバム『ピラニア軍団』でほぼ全曲の作詞・作曲を手掛け、中島貞夫監督とともにプロデューサーも務めたフォークシンガー・三上寛。去る9月22日、池袋・新文芸坐で行なわれたミニライブとトークイベントを控えて、改めてピラニア軍団との関わりや、俳優として東映作品に出演するようになった経緯、そしてアルバム制作のエピソードなどについて詳しく語っていただいた。先日、スタジオでのリマスタリング作業に立ち会いながら久しぶりにアルバムを聴いたのだそうで、まずはその感想から伺った。

三上:50年近く前の作品がまさか再発売だなんてね。CDだけじゃなくてレコードでも出していただいたというのがうれしいです。これを作った当時、私はまだ25歳を過ぎたくらいでした。手前味噌になってしまいますけども、あれだけ多種多様な曲を作って、それぞれの俳優さんの個性がきちんと描けている。あの頃の集中力って、本当にすごかったんですね。

●こうして始まったピラニア軍団との生活

三上:私は1971年に歌手としてデビューしまして、フォークブームの最中で学生運動も盛んな頃でしたから、同じ世代の連中に支持されて、いつもどこかの学園祭に呼ばれて歌っていたものですよ。ところがね、それから何年かして学生運動が終わったら、みんな田舎へ帰るか、髪を切って就職して…ってな話で、気がついたらお客がみんないなくなっていた(笑)。「歌なんか歌っていてもしょうがないな」と思い始めていた時、たまたま深作欣二監督と知り合ったんです。日本ジャーナリストクラブ(JJC)の大きな会合がありまして。新宿コマ劇場を借りて、いろんな人が出たんです。

1975年8月、JJCが主催した長時間の討論会「のんすとっぷ24時間 -戦後30年・酷暑・おしゃべりとうたとけんかと-」。青森から上京したばかりの三上にレコードデビューを勧めたジャーナリスト・ばばこういちからの誘いでこのイベントに出演した三上は「あなたもスターになれる」と「BANG!」を歌い、「やくざ映画を考える」というトークショーに出演した深作と対面した。それ以前にも、梶芽衣子のコンサート「新宿アウトロウショー」(1973年5月)に出演するなど、映画関係者も多く出入りする新宿ゴールデン街にもなじみが深かった三上の存在は、すでに映画界では一目置かれていたようであった。

三上:深作さんが私を見るなり、「お前、(映画に)出る気あるか?」と言うんです。私は『仁義なき戦い』(1973年1月)が大好きで、目の前にそれを撮った大巨匠がいるわけですから、一も二もなく「え!いいんですか?」ですよ。後で深作さんに「どうしてあの時私に声をかけたんですか?」と聞いたら、「お前の体つきは、やくざなんだよ」と言われましてね、驚きました(笑)。なんでも、「最近の俳優はみんな足が長くて、筋肉質で、顔も彫りが深い。お前はずんぐりしていて、首も太い。これが本当のやくざの体型なんだ」と。

それまでの三上は映画出演といえば、寺山修司が監督した『田園に死す』(1974年12月)のほかに数本。まだまだ演技の経験は少なかった。そんな三上が、初めて太秦にある東映京都撮影所を訪れた。

三上:言ってみれば”外様”ですよね。私は映画界のことなど何も知らないで返事をしてしまったんで、知り合いには相当脅かされましたよ。「京都の太秦といったら、天井から照明が落ちてくるらしいぞ」「東京から来た人はすぐいじめられてみんな辞めてくんだ」とね。作家の長部日出雄さんまで「寛ちゃん、東映に行くなら一生涯、野菜だけを食べると良いらしい。そしたらギラっと目に光が出るらしいよ」、なんてことを言う(笑)。「そんなに怖いところだったのか…」とビビりながら、でも決めたんだからしょうがないと思って行ったわけです。

三上が出演することになったのは『新 仁義なき戦い 組長の首』(1975年11月)。ギターを抱えて「小林旭」と名乗る子分の青年役を演じた。ボブ・ディランでなく、「渡り鳥シリーズ」のアキラにあこがれてギターを弾き始めたという三上の生い立ちが反映された役である。

三上:京都では最初に衣装部へ行って、そこで初めて小林稔侍さんにご挨拶したんですけど、ビックリするくらい腰が低いんですよ。外を歩いていても、すれ違う人たちがみんな礼儀正しい。「あれ? 聞いてたのと全然違うじゃないか」って。稔侍さんは稔侍さんで私のことを見て、「こんな街のチンピラみたいな素人を、一体どこで拾ってきたんだろう?」と思っていたらしい(笑)。これはあとでわかったことなんですが、例えば昔はどこかでロケをする時、撮影中に車や人が来ないようにその場を仕切ってくれるおじさんがいたでしょう? 東映の映画でお世話になっていたその有名な人が、私と同じ三上っていう苗字だったんです。なんとなく顔も似ていたらしくてね。みんな私をその方の倅(せがれ)かなにかだと思っていた。撮影所じゃ、誰も私が歌手だなんて知らなかったんです。

●殴り込みシーンの撮影は中津川と同じ

この作品で三上はいきなり大役を任される。料亭に殴り込んで室田日出男が演じる組の幹部を襲い、血まみれになって包丁で刺し違えるシーンだ。観た人ならわかるだろう。走る三上の背中を手持ちカメラで激しく追いかけるという、作品の大きな見せ場のひとつだった。

三上:あれは夜の祇園で撮ったんですわ。それまでは監督の言うことを「わかりました」と言ってその通りにやっていたんだけど、まだ何をどうやれば芝居になるのか、まったくわかっていなかったですよ。しかも、あの日のロケは(菅原)文太さんも一緒で、あの狭い路地に相当な人数の野次馬が集まったんです。私はその時、「あぁ、これは中津川と同じだな…」と思いました。

「中津川」とは1971年に開催された大規模音楽イベント「第3回中津川フォークジャンボリー」のこと。「いくぞ!!!」という掛け声とともにメインステージに立った三上は、2万人とも言われる観衆の前で代表曲の「夢は夜ひらく」などを熱唱し、当時無名だった歌手は一夜にして新世代のスターとなった。

三上:「そうだ。中津川で歌ったように、あのまんまでやればいいんだ」と。そうは言っても素人の演技ですから、深作さんは撮り直しの用意はしていたみたいですけど、これが1発でOKになった。それからずいぶん経ってから室田さんのお葬式で深作さんとお会いした時、「あんな場面は普通、1回じゃできないぞ。お前、もしかして(殴り込みを)やったことあったのか?」と冗談をおっしゃってましたね。

ボクサーの役で初めて中島組の撮影に参加した『実録外伝 大阪電撃作戦』(1976年1月)の序盤のシーンでは、中島から「今度来る三上ってヤツは、新宿で一番ケンカが強いらしいぞ」と吹き込まれた試合相手役の松本泰郎がエキサイトしてしまい、半ば本気の殴り合いになってしまったこと。『沖縄やくざ戦争』(1976年9月)では土に埋められてしまうシーンでスコップが顔に当たってしまい出血。志賀勝に「三上ちゃん、その傷イイねぇ!」と褒められ、「よかねぇよ! 本当にケガしてんだよ!」と返したこと。三上は撮影所でピラニア軍団と過ごした想い出を、「私もね、すっかりピラニアイズムに染まっていたんですよ」と笑いながら、良いことも悪いことも楽しげに語ってくれた。

三上:撮影所の裏に「東映寮」という宿舎があって、東京から来た人はみんなそこで暮らすんです。隣の部屋が室田さんで、その隣が稔侍さん。近所のラーメン屋でタンメンを食べたり、撮影のない時間はいつも一緒にいましたから、ピラニアの人たちとはあっという間に仲良くなっちゃいましたよ。あれは撮影所に活気があった最後の残り火というんですかね。そういう時代の盛り上がりを見せていただいたっていうことでね、それはとてもありがたかったです。

●アルバム制作の経緯と歌手としての転機

三上:何本も一緒に映画に出させてもらいながらいろいろと面倒を見てもらって、ピラニアの人たちには「本当にお世話になったなぁ」と感じていたんですよ。それでなにかお返しができないかなという、すごく純粋な発想です。レコード会社の人から「歌手をやめてディレクターになってみないか」と言われた時期でもあったしね。自分が歌うのではない形でレコードを作ることを考え始めていたんですわ。そんな時にちょうどキングレコードの小池康之さん(当時:専務/キングベルウッドレコード代表取締役)と知り合って、「うちでやろう」と乗ってくれた。中島監督には「曲は私が書くんで、ピラニア軍団のレコードを作りませんか?」と、そんな話をしてできたアルバムです。うん、できちゃったんだよなぁ(笑)。いままた同じことをやろうったって、できないですよ。アレンジをしてくれた佐藤準と坂本龍一はスタッフに紹介してもらったんだけど、こういう時にはやっぱり似たような人たちが集まる。なんと言うか、エネルギーの塊だよね。みんなピラニア軍団に引き寄せられたんだ。

曲作りは、ほとんど歌い手に当て書きをするようにして進められたという。野口貴史が歌う「関さん」など、明らかに実在の人物をモデルにしていると思われる歌が、忘れがたい情感を呼び起こす。

三上:実際にピラニアのみなさんから直接聞いた話も曲にしてますよ。松本さんが歌う「悪いと思っています」もそう。本当に監督にすまないと思いながら歌ってますからね(笑)。それぞれの人に”それぞれの感じ”ってものがある。何十年もの付き合いというわけではなくて、1〜2年という短い時間に撮影所で経験したことや感じたことを、「あの人はこういうところがいいんだよな…」なんて思いながら、そのイメージを曲にしていったのがよかったんでしょう。私と歌っている方の2人にしか意味のわからない歌詞も入れたりもしてね。志賀さんが歌う「役者稼業」。あれも実際の話ですよ。次の日が撮影だってのに朝まで飲んでて二日酔いでさ、楽屋で寝てるんですから(笑)。

「ソレカラドシタイブシ」に”冷かし”として参加し、随所で鋭いツッコミを入れているのは渡瀬恒彦。主演級のスターなので軍団のメンバーではないが、周囲のまとめ役で兄貴分のように頼れる存在だったという。もはや軍団の一員のようになっていた三上はある日、ある悩みを渡瀬に打ち明けた。

三上:「撮影所でこんなに面白い仕事ができるのなら、歌手はやめてもいいな」って。心が揺れていたんです。例によって撮影が終わってから、渡瀬さんと一緒にラーメン屋に行きまして、ワンタンメンを食べながら、ふと「実はオレ…これからは役者一本で行こうと思っているんです」と言ったら、「寛ちゃんは歌で出てきた人なんだから、歌でもう1回勝負しなきゃダメだよ」と言われたんですわ。その言葉がすごくグサっと来まして、「…そうか」と。渡瀬さんがきっかけで「音楽をやめちゃいけないんだ」と思い直しました

「あの人たちと出会わなかったら、私はきっと音楽をやめていただろう」。ピラニア軍団について三上がそう語るのは、こんなやりとりがあったからだったのだ。東映京都撮影所でピラニア軍団と過ごした日々を、最後にこう振り返った。

三上:あと何回生まれ変わったとしても、きっと私はあそこに行くんだろうと思います。ピラニアのみなさんと、また一緒にメシを食いたいですね。本当に純粋なパワー。計算ずくで作ったんじゃなくて、魂のぶつかり合いとでもいうような瞬間でした。今になってこのアルバムが注目されるのはすごくわかりますよ。いつも新しい匂いがする、私の宝物です。


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【Release Information】


『ピラニア軍団』
岩尾正隆/片桐竜次/川谷拓三/小林稔侍/志賀勝/志茂山高也/白井孝史/高月忠/司裕介/寺内文夫/成瀬正/根岸一正/野口貴史/広瀬義宣/松本泰郎/室田日出男

応援団 渡瀬恒彦/橘麻紀

プロデューサー 中島貞夫/三上寛

【曲目】
1.その他大勢の仁義を抱いて(歌唱:志茂山高也)
2.役者稼業(歌唱:志賀勝)
3.悪いと思っています(歌唱:松本泰郎)
4.俺(れーお)(歌唱:成瀬正)
5.死んだがナ(歌唱:根岸一正)
6.だよね(歌唱:川谷拓三)
7.ソレカラドシタイブシ
(歌唱:小林稔侍/白井孝史/寺内文夫/高月忠/広瀬義宣/片桐竜次  <冷かし>渡瀬恒彦)
8.はぐれピラニア(歌唱:岩尾正隆)
9.有難うございます(歌唱:室田日出男)
10.やめましょう(歌唱:司裕介)
11.菜の花ダモン(歌唱:橘麻紀)
12.村歌~わしゃ知らん節~(歌唱:ピラニア軍団)
13.関さん(歌唱:野口貴史)

■配信
配信サイトはこちらから(通常DL/ハイレゾDL/ストリーミング)
https://king-records.lnk.to/PiranhaGundan
●インストゥルメンタル音源を含む全26トラックを配信

■LP[商品番号KIJS-90041]
●数量限定プレス盤
●33回転/歌詞カード/プレゼント応募抽選券封入
定価4,400円(税抜価格4,000円)

■CD[商品番号:KICS-4161~2(CD2枚組)]
CD1 LP収録と同内容(全13曲)
CD2 インストゥルメンタル音源を収録(初音源化)
●歌詞カード/初回製造分のみプレゼント応募抽選券封入
*プレゼント応募抽選券の施策はLPと共通内容です。連動施策ではございません。
定価4,400円(税抜価格4,000円)

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※応募詳細は、応募券が印刷された商品封入チラシをご確認ください。

詳しくは下記サイトを御確認ください
https://www.kingrecords.co.jp/cs/t/t15102/

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