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金澤寿和×クニモンド瀧口が<エレクトリック・バード>の魅力を語る「日本のジャズフュージョンレーベルのトップランナーだった」
日本制作でありながら、海外のミュージシャンによるオリジナル録音から、国際的に活躍する日本人アーティストまで様々な名盤が生まれてきた。
日本を代表するこのレーベルについて、音楽ライターの金澤寿和と、流線形などで活躍する音楽プロデューサーのクニモンド瀧口が、その魅力を語ってくれた。(栗本斉)
Real Sound編集部
2022.11.9
——いよいよ<エレクトリック・バード>のカタログの配信が始まりましたが、ここではお二人にこのレーベルの魅力を語っていただこうと思います。<エレクトリック・バード>の設立は1978年です。
金澤寿和(以下、金澤):1978年だと、高校3年か大学1年の頃ですね。フュージョンは聴き始めていましたけれど、まだレーベルまでは意識していなかったかな。
クニモンド瀧口:僕は完全に後追いなので、当時はまったく知らなかったですね。
金澤:この当時はいわゆるクロスオーバーやフュージョンが一番華やかな時期だったんですよ。
クニモンド瀧口:やっぱり当時はすごかったんですか。高中正義さんなんかは聴いたりしていましたけれど、こういったフュージョンは本当にブームになっていたんですよね。
金澤:海外だとラリー・カールトンが「ルーム335」を発表し、リー・リトナーがジェントル・ソウツをやっていてと、とにかく盛り上がっていた時期。結局、そういった海外での盛り上がりを日本で展開していったのが、<エレクトリック・バード>だったんでしょうね。あとは日本コロムビアのレーベル<ベター・デイズ>もほぼ同じ頃。ビクターにも<インビテーション>っていうロック系のレーベルにもフュージョン作品があったし、各社が一斉に動き出したのが、70年代の終わりからなんですよ。もちろんフュージョン専門じゃないレーベルもあったけれど、そのなかでもトップランナーだったのは間違いなく<エレクトリック・バード>という感じはしますね。
——当時、キングレコードは<ブルーノート>や<CTI>といったジャズのレーベルをライセンスしていて、その担当窓口だった川島重行さんがプロデューサーに任命されて始まったようです。
金澤:川島さんにはお会いしたことはないのでどういう采配をされていたのかはわからないんですが、いわゆるコンセプトメイカー的な役割だったんじゃないでしょうか。もっといえば、川島さんのプライベートレーベルといってもいいくらい特色が出ている。例えば、誰と誰を組ませればいいとか、この人にはソロでやらせようとか、そういうことをおひとりでやっていたんでしょうね。
クニモンド瀧口:川島さんは増尾好秋さんのアルバムを世界に通じる作品を目指して作るように、会社から指令されたようですね。それをその通りに展開していったというのがすごいことだと思います。そこにはデヴィッド・マシューズとの出会いもあったりして。
金澤:デヴィッド・マシューズの存在は大きいでしょうね。おそらく、<CTI>を担当していたことでつながりがあったのだろうけれど、川島さんが全体的なディレクションをして、デヴィッド・マシューズが実働部隊として動いていったことは<エレクトリック・バード>の大きな特徴だと思います。
——デヴィッド・マシューズの<エレクトリック・バード>における最初の作品は、1979年の『デジタル・ラヴ』ですが、このあたりは聴いていましたか。
金澤:その時点ではほとんど知らないんです。デヴィッド・マシューズを意識し始めるのは、1980年の『スーパー・ファンキー・サックス』というアルバムからですね。デヴィッド・サンボーン、マイケル・ブレッカー、ロニー・キューバーというサックス奏者3人をフロントにしたセッションなんですよ。あと、翌1981年の『ニューヨーク・ライナー』。こっちはエリック・ゲイル、ジョン・トロペイ、デヴィッド・スピノザというギタリスト3人をフィーチャーしている。
クニモンド瀧口:今考えるととんでもない企画ですね。
金澤:その後も、アール・クルーやグローヴァー・ワシントンJr.などとも共演しているし、いろんなことをやる人なんだなっていう感覚で、デヴィッド・マシューズを意識し始めたんだと思います。それと同時に、<エレクトリック・バード>というレーベルにも興味を持ったんじゃないかな。
クニモンド瀧口:僕が<エレクトリック・バード>を意識したのはずいぶん後で、90年代にレコード店でジャズバイヤーをやっていた時なんですよ。ちょうどアシッドジャズのムーブメントがあって、ジャズファンクやソウルジャズなんかが人気だったんです。その流れでディジー・ガレスピーやジム・ホールのカタログをレアグルーヴ感覚で手に取って。あとはレアグルーヴで人気があったボビー・ライルのセルフカバー『ナイト・ブリーズ』(1987年)を聴きました。記憶の中では、それが最初に聴いた<エレクトリック・バード>の音源ですね。金澤さんは純粋にフュージョンとして聴いていたと思いますが、僕はどちらかというとクラブジャズの観点です。
金澤:DJが昔のブラックミュージックっぽいフュージョンをかけたりするようになった頃ですよね。
クニモンド瀧口:当時、ジャズはレアグルーヴ的な聴き方から入っているから、<ブルーノート>や<プレスティッジ>と同じように、<CTI>のカタログも聴くようになって、その流れでデヴィッド・マシューズを知ったり、<エレクトリック・バード>の作品を聴いたりという感じですね。
——<エレクトリック・バード>ではデヴィッド・マシューズを中心とした海外ミュージシャンのオリジナル録音もありましたが、出発点は日本人アーティストです。このあたりはいかがですか。
金澤:大学に入った時に、先輩のバンドが増尾好秋さんの『サンシャイン・アヴェニュー』(1979年)をコピーしていて、「なんだ、このかっこいい曲は!」って思って意識したのが最初です。でもその前に、四人囃子が好きだったからその流れで、森園勝敏さんの『バッド・アニマ』(1978年)なんかも、<エレクトリック・バード>とは知らずに聴いていましたね。
クニモンド瀧口:僕はバイヤー時代に、これまた<エレクトリック・バード>とは知らずに大好きで聴いていたのは、増尾好秋さんの『グッド・モーニング』(1979年)。日本の70年代フュージョンの良質な作品という印象でした。
金澤:これはめちゃくちゃ名盤ですよ。ほぼリアルタイムで聴いていて、朝の目覚まし音楽といえば、このアルバムかSpyro Gyraでした(笑)
クニモンド瀧口:4、5年前に高円寺のJIROKICHIにライブを観に行ったんですが、とても良かったですよ。
金澤:増尾さんは最初に『セイリング・ワンダー』(1978年)を発表して、『サンシャイン・アヴェニュー』、『グッド・モーニング』とどんどん良くなっていくので、ある意味ピークといってもいい作品でしょうね。この後はヤン・ハマーと組んで面白いことをやっているんですが、フュージョンの一番おいしいところが『グッド・モーニング』には詰まっていると思います。
クニモンド瀧口:今の世代にも受け入れられるサウンドだと思いますよね。シティポップ系のDJなんかも、歌モノだけだとちょっと飽きちゃうから、ちょっとインストを混ぜる傾向があるんですけど、そういう時にかけたりするのもいいかもしれない。
金澤:<エレクトリック・バード>は基本的にインストのフュージョンがメインだから、あまり今のシティポップがそのまま当てはまるわけではないとは思うけれど、でもすごくメロディはポップだから、シティポップ感覚で聴けるかもしれないですね。森園勝敏さんはもともとロック畑の人だから、AORっぽいことをやっているし、本多俊之さんなんかは最初のアルバム『バーニング・ウェイヴ』(1978年)でSeawindと共演していて、そこはマリーンとつながったりするし、2作目の『オパ!コン・デウス』(1979年)はセルジオ・メンデス抜きのブラジル’88のメンバーが参加しているので、小野リサあたりの日本におけるブラジリアンの先駆けといってもいいかもしれない。いわゆるシティポップのど真ん中ではないかもしれないけれど、そういったシーンとの接着剤みたいな役割はあるかもしれないですね。
クニモンド瀧口:シティポップの流れでもフュージョン系のレコードが再評価され始めているし、和ジャズや和フュージョンをかけるDJもけっこう増えているんですよ。その流れでいうと、例えば大野俊三さんの『クォーター・ムーン』(1979年)なんかはもっと評価されてもいいかなと思いますね。フェンダー・ローズやソリーナの使い方が気持ちいいので、ロニー・リストン・スミスと同じような感覚で聴けますし。
金澤:そういった意味では、新しい価値観で聴ける作品も多いかもしれないですね。清水靖晃さんの『ベルリン』(1980年)なんかは、ほとんどマライアみたいな作品だし。その前はいわゆるフュージョンをやっていたんだけれど。
クニモンド瀧口:これは本当に実験的ですよね。まるでサウンドトラックを聴いているようなバラエティ豊かで、アヴァンギャルドなアルバムです。
金澤寿和:でも今、こういったサウンドがバレアリックの文脈で海外でもすごく人気があって、「なんだろう?」と思っていたことが少しずつ見えてくるんですよ。あと、カシオペアが売れまくっていた時に発表した向谷実さんのソロアルバム『ミノル・ランド』(1985年)も、かなり画期的なアルバムだったんです。ワンマンレコーディングで、シンセサイザーと打ち込みだけで作っていて、フュージョン系のアーティストではかなり新しかったと思いますよ。
クニモンド瀧口:清水靖晃さんもそうだけれど、<エレクトリック・バード>はこういった実験的なものも許せる懐の深さみたいなものは感じますね。あと、錚々たるメンツがいろんな作品に入っているじゃないですか。ディジー・ガレスピーの『クローサー・トゥ・ザ・ソース』(1985年)には、スティーヴィー・ワンダーやマーカス・ミラーなんかが普通にクレジットされているから、予算的にも大変だったんじゃないかって思っちゃいますよね(笑)。
金澤:ガレスピーぐらいになると、大御所すぎてギャラ云々は大して発生しなかったんじゃないかな(笑)。それにしても、すごいメンバーがどの作品にも入っていますよね。あと、「本当に?」って思ったのがスティーヴ・ガッドのソロアルバム。当時、『ADLIB』という音楽誌でガッドがラルフ・マクドナルドと一緒にインタビューに答えていたんですよ。そこには「今、ソロアルバムをラルフのプロデュースでレコーディング中だ」って言っていて、多分<エレクトラ(・レコード)>から出ると思って楽しみにしていたんですよね。そうしたら、全然<エレクトラ>からは出る気配がなくて、唐突に<エレクトリック・バード>から『ガッドアバウト』(1984年)が発表されたんです。しかも日本制作で。
クニモンド瀧口:じゃあ、ラルフ・マクドナルドがプロデュースしたアルバムは出なかったんですか。
金澤:そうそう、出なかった。その時の音源は、ラルフのソロアルバムに何曲か入っているのかな。デヴィッド・マシューズとスティーヴ・ガッドはManhattan Jazz Quintetをやっていたから、その関係で「<エレクトリック・バード>で出せば」って話になったんじゃないかなって思いますけれどね。
クニモンド瀧口:そういった人脈が見えるのも面白いですよね。洋邦のミュージシャンがクロスするのもレーベルの特徴だと思いますよ。益田幹夫さんの『コラソン』(1979年)もすごいですよね。アンソニー・ジャクソンやバーナード・パーディーと一緒に演奏しているし。
金澤:これもデヴィッド・マシューズが関わっているから、やっぱり面白いですよね。そう考えると、彼は<CTI>含めてキャリアが長いけれど、名前が広まったのは<エレクトリック・バード>での活躍があったからかもしれない。
——いろんな名前が出ましたが、他に注目しておくべき<エレクトリック・バード>のアーティストや作品はありますか。
クニモンド瀧口:今回の配信のラインナップには入っていないんですが、加納洋さんという人が『Manhattan Island』(1987年)という12インチシングルをリリースしていて、これが、デヴィッド・マシューズのプロデュースなんです。しかも帯には「これが本物のシティポップスだ!」って書かれていて、「ああ、これがシティポップスなんだな」って思っていました(笑)。あと、これもレアグルーヴの流れなんですが、水原明子さんの『Love Message』(1982年)なんかも今はアナログが再発されたりしていて人気ですよね。
金澤:今ちゃんと聴き直したいと思っているのは、ギル・エヴァンスのThe Monday Night Orchestraのライブ盤。クリス・ハンターやハイラム・ブロック、あと大野俊三さんなんかも参加しているんですよ。デヴィッド・ボウイの『★(ブラックスター)』以降、マリア・シュナイダーや挾間美帆みたいなラージアンサンブルで活躍する人たちが注目されているじゃないですか。こういったバンドを、あらためて聴いてみるのも面白いと思いますよ。
(取材・文=栗本斉/写真=林直幸)
■配信情報
日本を代表するジャズ/フュージョンレーベル<エレクトリック・バード>の膨大なカタログから52タイトルが配信
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