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パンクを超えたミチロウのパノラマ パラノイア・ワールド!
文:行川 和彦
2025.2.19
グロテスク・ニュー・ポップは、パンク・バンドのザ・スターリンが解散してから数か月後に立ち上げられたレーベルである。パンクのスタイルを超えたポップ感のミチロウの多芸ぶりが堪能できる作品を、2年ほどの間にイロイロ出した。グロテスク・ニュー・ポップ・レコードは、レーベルのロゴなどにはG.N.P.と略してデザインされていた。G.N.P.は一種の経済用語で国民総生産を意味するが、「スターリン(筆者注:マルクス・レーニン主義)から資本主義」と本人が言っていたように、ミチロウ一流の皮肉も感じられる。
最初に着手したのはMichiro,Get the Help!。ザ・スターリン解散後、たくさんの人たちの助けを得たミチロウの本音が表れたプロジェクト名にも思える。実際ファンにどんどん買ってもらって日本のG.N.P.を上げようとしたかのように、1985年の8月から2か月のインターヴァルでミニ・アルバムのレコードを3連発。ミチロウは当時LP1枚の重い感じはやりたくなくて、ポンポンと垂れ流し的に続けてレコードを出したかったのである。
結果的にMichiro,Get the Help!の“メンバー”は、末期ザ・スターリンとゲイノー・ブラザーズをつなぐ人選になった。バンドではないから曲によって参加ミュージシャンは異なったが、ザ・スターリン末期に在籍したONO(g)と、当時ROOSTERZの下山淳(g)の存在が象徴的。ザ・スターリン時代とは違って、いわゆるプロフェッショナルなミュージシャンが名を連ねた点も特徴である。
3連作はすべて45回転の12インチ・レコードのフォーマットで発売された。同時代のニュー・ウェイヴのアーティストがそういう形でよく音源リリースしていたこととも共振。ミチロウはけっこう音質にこだわっていて、当時45回転の12インチ・レコードはダイナミック・レンジ高く極上音質だったのである。
ザ・スターリンを聴いてきたファンにとってMichiro,Get the Help!は、驚きの連続だった。ミチロウの45年近いミュージシャン・キャリアの中で、フォーク基調の“歌もの”から最も解き放たれていた時期でもある。パンクといってもミチロウの本質と言える“陰キャラ”の内向的な色合いが強かったザ・スターリンの反動のように、ほとんど躁状態だった。音楽的にも、パブリック・イメージ・リミテッド(PiL)の『This Is What You Want… This Is What You Get』(1984年)をはじめ、当時のニュー・ウェイヴのアーティストなどの主流音楽的方向性だったファンクをはじめ、ダンサブルなサウンドだ。ヴォーカルもメロディよりリズムに重視と言える。
ソロ作品ではなく、3連作はすべてMichiro,Get the Help名義でリリースされている。でもほとんどの曲をミチロウが作っていたことに、またしても驚かされる。ほとんどがパンク畑ではない参加ミュージシャンたちのアレンジ力も大きいと思われるが、ミチロウもイケイケにハジケたかったのであろう。
反復基本のファンクだけでなく、ヒップホップ風味が随所に挿入されている作りにもビックリだ。ミチロウの好みを思えば、アフリカ・バンバータがPiLのジョン・ライドン(元セックス・ピストルズ)の参加をあおいだ、タイム・ゾーンの『ワールド・デストラクション』(1984年)に刺激されたようにも感じる。
3連作は、音と同じくミチロウがコスプレしたアートワークも豪華だった。アート・ディレクションを、沢田研二の衣裳デザインやレコード・ジャケットを手掛けていたことで知られる、早川タケジが担当。「橋本治が天才と言うから一発で決めた」というが、ミチロウによればジャケットに関して「割とTVに出たい(笑)ためのイメージです。(でも)ジュリー(沢田研二)の世界に行ったのか(笑)と言われたときに、(歌や音で)全然違うものが飛び出してくる…」とも言っていた。
Michiro,Get the Help!の3連作を一つずつ見ていきたい。一発目の『オデッセイ・1985・SEX』のタイトル曲は、リメイクしながら90年代以降のソロ・ライヴ活動で最も披露された曲の一つ。Michiro,Get the Help!の中でも数回歌詞やアレンジ等を変えてレコーディングしている。カラッとしていても、しつこく言葉数が多く、ねちっこいのがミチロウ流だ。
「餌(エサ)」はONOの作曲で、ザ・スターリンでもやれたハード・パンク・ロック。“Hiromi Go!”というフレーズもお茶目だ。3曲目の「THIS IS LOVE SONG」は、PiLの1983年のシングル「This Is Not a Love Song」に対するアンサー・ソングに聞こえる。“THIS IS LOVE SONG”というフレーズが曲名に使われた曲が3連作に1曲ずつ入っていることもポイント。「“SEX”とかって歌うのもラヴ・ソング」と言っていたミチロウの言動はすべてが愛だ。4曲目の「真夏の夜の毒殺」は、ダブ行ってっぽい作りの反復がPiLの『メタル・ボックス』(1979年)っぽく、カッチリした作りはPiLの『Album』(1986年)の先を行っていたようにも聞こえる。
続いて、Michiro,Get the Help!の2作目『アメユジュトテチテケンジャ』。ブリティッシュ・ビートっぽい感じの1曲目の「ジャンキーパニックSEXY STAR」は、ミチロウ自身を歌ったような曲である。4曲目の「アメユジュトテチテケンジャ(THIS IS LOVE SONG)」は、宮沢賢治の詩「永訣の朝」の中の“あめゆじゆとてちてけんじや”を思い起こすフレーズ。タンゴ風の曲調もさることながら、これミチロウが歌っているのか!?と思わせるほどセクシー極まりない歌唱も聴きどころだ。
3連作ラストの『GET THE HELP!』の1曲目は、このプロジェクト名のキーワードがタイトルのビートルズのカヴァー「HELP!」。オープニングがドゥーム・メタル風のサウンドも強力だが、母音が強調された“ローマ字歌唱”で日本語に聞こえるヴォーカルも微笑ましい。2曲目の「月のスペルマ」は下山淳の作曲で、3連作の中ではやはり異色。3曲目の「受話器を取れ! (THIS IS LOVE SONG)」の序盤は、フィンガー5が1973年に出した大ヒット・シングル「恋のダイヤル6700」をもじったのだろう。まさに締めの曲「オデッセイ・1985・SEX・FIN」は、ビートルズの「ALL NEED IS LOVE」を引っかけたような痛烈フレーズの“ALL NEED IS SEX”に続き、ことわざの“SEXリニューアル”のようにシニカルなフレーズを、狂ったように繰り出す。なおボーナス・トラックの「HELP!(TAKE2)」は、予約特典のソノシートに収録されていた曲である。
Michiro,Get the Help!の3連作のキー・ワードはSEXである。初の音源発表盤だからミチロウのデビュー曲と言える、ザ・スターリンの1980年のソノシートのA面曲のタイトルが「電動こけし」で、当時のパンク・バンドとしては世界的に見ても異色のエログロのイメージ。ミチロウにブレはない。
という流れで今回の配信リリースに、7インチ・シングルの『オデッセイ・1985・SEX/ONYAN2・1985・SEX』が含まれているのも嬉しい。1曲目は「オデッセイ・1985・SEX」は原曲の半分以下に長さを短縮して歌詞を変えたシングル・ヴァージョンで、Michiro,Get the Help!の曲をまとめて2008年に発売されたCDでは、“(安全?/バージョン)”とクレジットされていた。さらに興味深いのがシングル盤ではB面だった「ONYAN2・1985・SEX」。後述するミチロウの『破産』でコーラス参加した錦城カオルがメイン・ヴォーカルで、歌詞も違ってタイトルも異なるリメイク曲。ちなみに彼女はシンガーソングライターの錦城薫で、80年代後半のソロ・アルバムでは、ここで聴ける“どSキャラ”とは別人に聞こえるプログレ系の歌唱が楽しめる。
さらに付け加えておくと、当時の広告には“3連作お買い上げの方にもれなく「㊙すぐれもの」をプレゼントいたします。”という文句が。ジャケットに付いた帯の裏に印刷された応募券3枚を返信用の切手と送り、郵送で届いたブツはかわいいデザインの紙製のパンティ。“実用性”が高いのもミチロウらしい。
さらなる進化を遂げた1986年5月リリースの『破産』は、ミチロウのオリジナル・デビュー・アルバムである。ただ遠藤ミチロウ名義ではあったが、過半数の曲や編曲にクレジットされたバンドのゲイノー・ブラザーズとの共同作業だ。下山淳(g他)がずっと関わっていたMichiro,Get the Help!の流れもくみつつ、その3連作がグロテスクに焦点を当てているとしたら、『破産』はポップを強調した“白っぽいアルバム”に仕上がっている。
ジャケット写真は、『ヒーローズ』(1977年)のアルバム・カヴァーをはじめデイヴィッド・ボウイと仕事してきた鋤田正義の撮影。いわゆるパンク・ファッションに着物をミックスしたような当時のステージ衣装が頭をよぎり、このアルバムも和製グラム・ロックと言っても過言ではない。もちろんニュー・ウェイヴやサイケデリックも込みの近未来サウンドだが、アルバム・タイトルに表れたミチロウらしいニヒリズムが光を放つ。1曲目の「ゲイノー・ブラザーズ」に関しては、『破産』の裏ジャケットにクレジットした英語タイトルの「GAY NO BROTHERS」も、思わせぶりで楽しい。
実のところ、G.N.P.レコードはミチロウ作品だけのレーベルではなかった。宝島誌の85年11月号の広告では、早くも“G.N.P.レコードでは新人募集中!!”と書かれていた。週刊ヤングマガジン誌上でもオーディションが行なわれ、ソノシートの発表経験のあるバンドのTELLがグランプリ。1986年の12月にはNICKEY & WARRIORSとそのTELLのスプリットミニ・アルバム『NO PRESENCE』が、ミチロウのプロデュースでリリースされる。
レコードのA面で今回の配信の1曲目から3曲目までのNICKEY & WARRIORSは、既にEPを数枚出していたバンド。1983年2月リリースの12インチEP『GO GO スターリン』の頃のザ・スターリンのドラマーであるKEIGOが、リーダーだったバンド。美女と野獣のヴィジュアルのこの時代のメンバーが最強で、後にZETTなどで活動するCATがギター、後にWANG-TANGの名でラフィン・ノーズに加わるJACKがベースを弾いていた。
話をミチロウに戻すと、G.N.P.レコードのラストを飾った1987年7月リリースのソロ・アルバム『TERMINAL』は、ミチロウの“揺れ戻し作”だった。これまたミチロウらしいアルバム・タイトルで、パンクに留まらないミチロウの個性だった長く重くサイケデリックな長い曲の“終着点”であり、そんな作風をここで一気に総括したとも思える。
ソロ名義だが、アレンジャーとしてもクレジットされていてライヴも行なったバンドのPARANOIA-STARRと作ったアルバムである。メンバーは、ラフィン・ノーズのPON在籍のNASHIで演奏していたHOMARE(g)、2年後に新生スターリンの結成メンバーになった後は町田町蔵+北澤組で弾く西村雄介(b)、元SPEED~E.D.P.S.のBOY(ds)、後にジャジー・アッパー・カットで演奏する斉藤トオル(kbd)。
1曲目の「飢餓々々帰郷」はザ・スターリンの前身バンドの自閉体の頃からライヴでやっていて、ミチロウのミニコミ誌『ING,O!』NO.5(1984年)の付録ソノシートが初出だ。3曲目の「溺愛」は1981年のザ・スターリンのファースト・アルバム『trash』収録曲で、作曲が当時のギタリストのタムでもミチロウの代表的なラヴ・ソング。4曲目の「OH!マルクス」は、ザ・スターリンの「先天性労働者」と、ミチロウのソロ曲「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」の合体。2曲目「LUCKY BOY」の7インチ・シングルのB面にシングル・ヴァージョンが収録されたが、短縮されてはいても6分半近くの尺なのが今回の配信リリースで確認できる。
G.N.P.時代はミチロウの過渡期だったのかもしれない。以降、歌主体でコンパクトな曲が中心になったからだ。でも、グロテスクなポップ感は1989年結成の“The”の付かないバンド名の新生スターリンの音の土台だし、やりすぎなほど装飾を施した音作りの反動が1993年以降のアコースティック・ギター弾き語りに思える。迷走と呼ぶにあまりにトゥー・マッチで濃厚すぎる2年余の活動であった。
<行川 和彦 プロフィール>
1963年東京都生まれ。Hard as a Rockを座右の銘とする、音楽文士&パンクの弁護人。
ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、ヘドバンなどで執筆中。
『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)、
『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)、
『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)<以上リットーミュージック刊>、
『メタルとパンクの相関関係』(2020年~当時BURRN!の奥野高久編集部員との“共著”)<シンコーミュージック刊>
を発表。
『ユリイカ2019年9月臨時増刊号 総特集 遠藤ミチロウ -1950-2019-』でも執筆。
GNP(Grotesque New Pop)レーベル創設40周年 | “Michiro,Get the Help!”名義含む“遠藤ミチロウ”関連作品を待望の初配信!