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今 陽子 インタビュー【後編】
文:鈴木啓之 / 写真:橋本紗良
2025.12.11
(前編からの続き)
――ピンキーとキラーズの第1弾「恋の季節」が出た時、ヒットする予感みたいなものはありましたか?

私はひねくれ者なのか、これも実はB面の「つめたい雨」(アルバム『とび出せ!ピンキラ “恋の季節”』収録)の方が好きでした。ボサノバで大人っぽい曲じゃないですか。今でも好きでよく歌います。「恋の季節」はメロディーが大きいから少しコブシを効かせないと間が持たない。だから大衆受けするような歌謡曲になった。宴会とかでもやり易いでしょう。忘年会や新年会で帽子をかぶって傘をステッキ代わりにして皆さん歌われたという話をよく聴きますし。そういう意味でもビッグヒットになったのはよく解る。でもボサノバやラテンロック好きなシンガー今陽子としては、どちらかというと「つめたい雨」の方が気に入ってたんです。ファンの方々からもよくB面の曲を集めたアルバムを作って欲しいとか言われますよ。「涙の季節」のB面の「涙のバラード」(アルバム『ピンキラ・ダブル・デラックス』収録)とか良い曲がいっぱいあるんですよね。

――あれだけの大ヒットになって、周りの状況もいろいろ変わられたんじゃないでしょうか
そうですね、売れすぎちゃいましたね。レコードだけじゃなくて、テレビとか映画もすごく増えましたからね。次から次へとテレビ局やラジオ局を回って、1日に25本の番組を収録したこともありました。その間に雑誌の取材もありますし。「恋の季節」も「涙の季節」も映画になって、『恋の大冒険』というミュージカル映画も作られた。テレビでは『青空にとび出せ!』とか『ハット・ピンキー!』とかピンキーとキラーズ主演のドラマがあって、あとは日劇のワンマンショーですとか、もう全ジャンルにわたってでしたからね。コマーシャルもコカ・コーラ、ナショナル、雪印・・・とにかくすごかったです。なにしろ寝る時間もほとんどなくて、3年間休みなしでしたから。移動の車の中でも点滴しながらで、専門のお医者さんと看護婦さんが付いてましたから。

――逃げ出したくなってしまうようなことはなかったんでしょうか
逃げましたよ、はい。当時内幸町にあったNHKホールで1月15日に「成人の祭典」という天皇陛下もいらっしゃる催しがあって、生放送で「恋の季節」を歌うんですけど、サビのところで声が出ないんですよ。10代でもプロ意識はありましたからもう情けなくて。それが終わった途端、マネージャー2人、メンバー5人、付き人4人、運転手さん1人、全員で一斉に逃げました。一緒だと目立つのでバラバラになって。私は熱海へ逃げて、立派なホテルだと見つかっちゃうので、小さな旅館の布団部屋で寝てました。ところがキラーズのひとりがホテルの記名帳にすぐ判るような書き方をしたことで足がついて、すぐにバレちゃいました。それでも10時間ひたすら寝られたのでずいぶん楽になりましたけど。スポーツ新聞にも載って、「恋の季節ならぬ酷使の季節」とか書かれて同情されましたよ。日劇のショーの時も声が出なくて、お客様から「休ませてやれよー!」なんて怒号が飛び交ったこともありました。有難いことなんですけど、あまりにも限度を超してましたね。
――断念せざるを得ないお仕事なんかもあったでしょうね
とても残念だったのは、山田洋次監督がファンでいて下さったようで、『男はつらいよ』にも2回くらい頼まれていたんですよ。でも忙しすぎて受けられなかった。それはもう後悔でしたね。寅さんのマドンナは絶対演りたかったです。渥美さんとすごく気が合ったと思うんですよね。倍賞千恵子さんとは舞台の『屋根の上のバイオリン弾き』でご一緒出来たんですけど。千恵子さんは今、木村拓哉さんと一緒に映画出られてますよね、『TOKYOタクシー』。私も歳を重ねてああいう風に若いかたと共演出来る機会があるかもしれないと希望を持ちたいと思います。
――それだけのハードスケジュールをこなされていた頃は、一つ一つのお仕事の細かなご記憶はないですよね?

だから今回配信される曲の一覧を見て、イントロも思い出せないし、どんな曲だったろうというのがたくさんありました。CDの『ピンキーとキラーズ大全』でもそうでしたけど、「えっ、こんな歌を歌ってたの?」っていうのがずいぶんあって。それで聴いてみたら、「あー、なんとなく憶えてる」みたいな感じですね。50年以上歌ってない曲もたくさんあります。当時はレコーディングもあまり時間がなかったですよ。護国寺にあったキングレコードの第1スタジオで録ってました。たく先生もいらっしゃいますけどあまり何も言われませんでしたね。その分ディレクターの本吉さん(本吉常浩=キングレコードのディレクター)は厳しかったですけど。
――今回配信されるラインナップの中で特に思い出深い作品はありますか?
本当に申し訳ないんですけど、ピンキラの後半とソロになってからの曲はどうしても記憶が薄いんですよね。でもすごい先生方に書いていただいてるんですよ。それも歌手としての財産だと思ってますが、思い入れがあるのはやっぱり初期の頃でしょうか。

「土曜日はいちばん」のB面だった「小さな大切な恋」(アルバム『ピンキーとキラーズ・デラックス』収録)という曲。これはリサイタルでしか歌ってなかった曲なんですけど、ストーリー仕立ての大作でドラマティックなんですよ。幼なじみの男の子が海で死んじゃう話で、私も気持ちが入ると最後に泣いちゃって、次の曲へいくのに鼻声で困った憶えがあります。これもまたB面なんですよね。和田誠さんが作曲して下さった「恋のサンポラレ島」(アルバム『ピンキーとキラーズ・デラックス』収録)もB面曲でしょう。和田さんは平野レミさんが嫉妬するくらい私のファンでいて下さったんですよ。もしかすると上野樹里ちゃんは私の嫁だったかもしれない(笑)。
――映画『恋の大冒険』も和田さんがタイトルやアニメーションを担当されていましたね

日本では珍しい本格的なミュージカル映画ですよね。主題歌だった「素敵な恋」も好きな曲です。もちろんいずみたく先生。劇中でいろんなバージョンがあって、ジャズバージョンが4ビートでカッコいいんですよ。平成生まれのうちの若いバンドにアレンジしてもらって演ったらすごくよかった。彼らも「カッコいいです!」って言ってくれて。3~4年前に渋谷の映画館で上映されて羽仁進監督とトークショーをやった時にはとてもマニアックなお客様がたくさん集まってくれました。そういう方々なんですよね、B面を好まれるのも。今回のテーマはB面推しということでお願いします(笑)。
――最後に、もうすぐデビュー60周年を迎えられる今の心境をお聴かせください

普段そういう感覚はないんですけど、こうやってたくさんの作品を見たりすると、「私ってずいぶん長く歌ってきたんだ、大ベテランなんだ」って改めて思っちゃいますね、手前味噌ですけど。60年というのは長い歴史ですが、それはそれとして今のライブ活動を続けていきたい。これからはオリジナルももちろん大事にしながら、本来好きなジャズやポップスをメインにして今の時代に則したアレンジで演っていきたいです。幸いまだまだ声も出ますので、古くならないように、時代に乗り遅れずにやれている自信はあります。でも昔からのファンの方々が望むものも決して忘れないように。だから私の場合はその2つのパターンで歌っていけたらと思うんです。キングレコードの先輩だった江利チエミさんやペギー葉山さん、岸洋子さん、それこそ(美空)ひばりさんや越路(吹雪)さんらの大先輩方からも可愛がっていただいた最後の世代として、スタンダードを歌い継がなければという使命感みたいなものもあります。歴史ある音楽と今の音楽の両方を繋ぐ橋のような役割を果たせたらいいなと思ってます。「恋の季節」をBTSと一緒に歌えたら素敵な事じゃないですか!

キングレコードから発売されたシングルに収録されたA面曲・B面曲を網羅したシングルベスト・プレイリスト公開!
『ピンキーとキラーズ Pinky & Killers Single Collection』




