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新井正人インタビュー【前編】パル「夜明けのマイウェイ」でのヒット~アニメソングの世界へ

今年、『機動戦士ガンダムZZ』の主題歌「アニメじゃない-夢を忘れた古い地球人よ-」でのソロ・デビューから40周年を迎える新井正人。ダイアリー「青春メモリー」でデビューし、その後パルに加入、日本テレビ系ドラマ『ちょっとマイウェイ』の主題歌「夜明けのマイウェイ」がヒットし人気グループとなり、解散後に発表したソロ・アルバム3作は、現在、シティポップブームで再評価を受けている。さらに作曲家としての活動のほか、90年代には「BRAND NEW OMEGA TRIBE」のリードヴォーカルとして活躍するなど、目眩く華麗なキャリアを重ねてきた。その目まぐるしいまでの音楽遍歴を振り返るスペシャル・インタビューを2回に分けてお届けする。

進行・文:馬飼野元宏 / 写真:Ryoma Shomura

2026.4.17

――まずは幼少期の頃のお話になりますが、最初に触れた音楽はどういったものだったのでしょうか。

新井 最初は湘南サウンドでした。子どもの頃、ゴジラ映画が観たくて、おばあちゃんに連れて行ってもらった時、『怪獣大戦争』と同時上映だったのが、加山雄三さんの『エレキの若大将』だったんです。フランク・シナトラみたいな音楽で、そこに加山さんの歌が入り、映像の印象とも相まってすごくインパクトがありました。そのあとはビートルズ、いわゆるリバプール・サウンドですね。小学校6年生の時、従兄弟に『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を借りて、こういう音楽があるのか!と驚きました。中学1年の時にはスカラ座に『レット・イット・ビー』の映画を観に行き、そこから『リボルバー』などを遡って聴いていったんです。

ーーご家族も音楽好きでしたか。

新井 母親はニール・セダカ、ポール・アンカなどアメリカン・ポップスが好きで、父親は逆に浄瑠璃とか新内を好んで聴いていたので、その影響もあるかもしれません。家にはピアノと三味線、マンドリンがあって、それをいじって遊んでいるような子どもでした。最初に手にした楽器もマンドリンで、押し入れに入っていたのを見つけて弾き始めたんです。マンドリンって要は8弦ギターだから、ダブルで音が鳴るのがカッコよくて。ピアノも習っていたけど、先生と折り合いが上手くいかなくて、あまり続かなかったですね。

――その後はどんな音楽を。

新井 中学生になるとフォークが流行ってきましたから、僕もジョーン・バエズの曲とか、ピーター、ポール&マリーの「パフ」とかを歌っていました。キングストン・トリオも耳にはしていましたが、もう少しメロディアスなものが好きでしたね。その頃ギターを始めるんですが、高校に入るとオリジナルの曲を作り始めています。アマチュアバンドをやる頃になるとAORにハマって、特にボビー・コールドウェル、マイケル・フランクスなどソフトなものを好んでいました。インストではスタッフとか。ビートがありながらメロディアスなところに魅力を感じて、のちにシティポップと呼ばれるような音楽を、知らずにやっていたんです。

――デビューのきっかけについてお聞かせください。

新井 市川市市民会館(現:市川市八幡市民会館)で、アマチュアバンドが多数出演して、お客さんも1000人ぐらい集めたイベントがあったんです。そこでキングレコードの関係者にスカウトされました。最初はダイアリーという男性3人のグループで、「青春メモリー」という曲で77年にデビューしました。ダイアリーは水谷公生さんが関わっていたんです。その時は、もうレコードが出せる!というだけで嬉しくて。自分にとっては奇跡でした。

――ダイアリーはシングル1枚だけでしたか?

新井 ええ。その後僕が加入するパルも、すでにデビューしていたんです。すぐ初代のリード・ヴォーカルだった尾関裕司さんが抜けて、そのあとに僕と、女性ヴォーカルの渡辺香代さんが加入したんです。その時、キングで桃井かおりさんの『しーんと淋しいネ…』というナレーション・アルバムを作ることになり、ディレクターの重松(英俊)さんから声を掛けられ、バッキングコーラスに参加しています。

その際のプロデュースが荒木一郎さんで、荒木さんにコーラスを気に入ってもらい、荒木さんが日本テレビ音楽の飯田則子さんというプロデューサーに相談して、『ちょっとマイウェイ』のドラマ主題歌にパルが抜擢されたんです。

――それが「夜明けのマイウェイ」ですね。


新井 そうです、そこでパルの活動が本格化していくんです。荒木さんのギター1本のデモテープが送られてきて、レコーディングでは僕もダブルヴォーカルで絡ませてもらったので、普通の3声のハーモニーではなく、独自のハモを作った覚えがありますよ。その時はディレクターの井口(良佐)さんに、「オリジナルを歌ってもいいですか?」って生意気にも言っていたらしいです(笑)。バンドの自己主張はあったけれど、まだ周囲の大人たちに対しては、緊張していましたね。

――『ちょっとマイウェイ』は桃井かおりさんの主演でしたが、桃井さんにもお会いしているそうですね。

新井 ラジオのゲストに呼ばれて、初めてお会いしましたが、役柄はおっとりした感じなのに、実際、ラジオの現場では頭の回転が早くて、すごく滑舌もいい方なんです。その10年後、ブティックJOYのCMソングに、僕の「Lonely Girl」が使われた際、桃井さんが出演されていて、ご縁があるなあと感じましたね。

――「夜明けのマイウェイ」がヒットして、パルを取り巻く状況も大きく変わったと思いますが、当事者としてはどんな思いでしたか。

新井 79年の10月に「夜明けのマイウェイ」をリリースして、いきなり『夜のヒットスタジオ』に出演して、自分としてはびっくりでしたよ。それまで電車に乗っていたのが、いきなりタクシーに変わって、地方の仕事も飛行機を使うなど、環境が激変しましたね。ライブは、東京ではヤクルトホールで開催して、大阪でもやったと思いますが、むしろ営業の仕事の方が多かった。ワンステージで3、4曲歌って、それが1日に6本もあるような感じです。バンドのメンバーは楽屋でビートルズやフォー・フレッシュメン、ビージーズなどを歌ったり、ミュージシャン的な感じでやっていたんですが、事務所の活動はタレント扱いでしたね。そのジレンマはありましたが、自分の夢は叶ったわけですから、忙しすぎて体を壊しそうになったけれど、嫌だとは思わなかったです。

――80年の「ラスト・メモリー」もヒットして、この時期は順調に活動を続けていた形でしたか。

新井 そうですね。「ラスト・メモリー」では色々な音楽番組に出させてもらいました。79年のアルバム『カリフォルニア・グレープフルーツ フレッシュ・オレンジ・ジュース』は荒木さんのプロデュースでしたが、次の『Catch Me』で、パルのセルフ・プロデュースになりました。ここで割と好きなことをやらせてもらえて、僕はAOR路線で、女性ヴォーカルの渡辺さんは、山崎ハコさんとか赤い鳥を聴いていたような人なので、フォーク色が強い感じの路線でした。


81年の「想い出のKOBE」という曲は、神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア’81)の「UCCコーヒー館」のテーマソングとして作った曲で、神戸ポートアイランド博覧会でも歌ったり、思い出深い曲ですね。神戸の「UCCコーヒー博物館(=現在、休館中。2026年夏頃リニューアルオープン予定)」でも、たまにかかっているらしいです。

――その後、新井さんはソロでアニソンを歌われるようになりますが、パル時代にも、『太陽の子エステバン』の主題歌「冒険者たち」を82年にリリースされています。

新井 あの頃、まだアニソンという言葉はなくて、業界では「マンガの歌」という言い方をしていたんです。そうなると、音楽のランクがちょっと下がるような感じがあり、周囲の大人たちは、その点を多少気にしていました。ああ、そっちに行ったのか、そろそろ(バンドも)終わりに近づいているかな…とね。でも僕としては気にならなかったし、抵抗もなかった「冒険者たち」は、実は鈴木茂さんがギターを弾いているんですよ。他にも、パルの楽曲は、一線級のミュージシャンたちが演奏していて、そういうレコーディングを見るのも楽しみでした。それこそ荒木さんがプロデュースの頃にも、オケ録りから見学させてもらって、スコアを書いているところをみたり、斎藤ノヴさんや芳野藤丸さんのプレイを近くで見て、コードやリズムの話なども聞かせてもらいました。歌謡曲の人たちはオケが出来てから初めてレコーディングに参加するのが普通でしたが、その点では、一流のミュージシャンの仕事が見られて、僕は恵まれていたなあと思います。

――パルは82年に解散しますが、そこに至る大きな理由はなんだったのですか?

新井 よく言えば音楽性の違いです。僕ら男の子三人はシティポップが好きで、紅一点の渡辺さんは、さっきもお話ししたようにフォーク系の曲を好んでいたので、それで音楽性の違いから分かれていったというのがあります。あとは、やはり活動に限界が来ていたんだと思います。

――その後、86年に『機動戦士ガンダムZZ』の主題歌「アニメじゃない-夢を忘れた古い地球人よ-」をリリースしますが、この間は何をされていたのでしょうか。

新井 同じキングのアーティストで、麻倉未希さんと1曲デュエットしているんです。(デュエット曲「SAY GOOD NIGHT」=麻倉未稀8thアルバム『FOREIGNER』収録)
それで井口ディレクターに、いろいろ勉強になるから、コーラスとして麻倉さんのライヴツアーに参加する?と誘われて、僕もコーラスの仕事には興味があったので、参加することになりました。そのバンドは「スターチャイルド」と言って、のちのDREAMS COME TRUEの中村正人さんもベースで参加していたんです。それでツアー2回目の時に、『機動戦士ガンダムZZ』の主題歌の話が来たんです。担当ディレクターの大場(龍男)さんに呼ばれて「あの、『ガンダム』なんだけどさ…」と言われて僕は「漫画じゃん!」って言ったんですよ。でも大場さんは「ガンダムは世界的にも有名だし、アニメの制作も超一流の人たちだし、新井くんにとってはいい経験になると思うよ」と説得され「じゃあ、やらせていただきます」となったんです。

(後編へつづく)


プレイリスト『40 Songs of 新井正人-Masahito Arai-』が公開!

配信リンク:https://playlist.kingrecords.co.jp/?post_type=playlist&p=2874

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