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【林哲司 特集】林哲司 ロング・インタビュー
進行・文:馬飼野元宏 / 写真:Ryoma Shomura
2026.10.13
【林哲司 特集】
INTERVIEW
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幾多の名曲を生んだヒットメーカーとして、またシティポップのマエストロとしても知られる作曲家・林哲司。70年代から作曲、アレンジで活躍してきた氏が、キングレコードに残した音源のうち、これまで未配信だった作品がこの度一挙配信されることが決まった。そこで今回は、林哲司が関わってきた映画音楽やアニメ主題歌、シティポップからアイドルポップスまで、キングでの作品を中心に、制作エピソードを語っていただいた。また、自身がセレクトした林哲司WORKSのプレイリストも公開される。時が経っても色褪せることのない、洗練の林哲司ワールドをこの機会に堪能してほしい。
――今回、林さんがキングに残した楽曲の中から、多彩な楽曲が配信スタートとなります。それらの作品について制作時のエピソードなどを伺っていきますが、初期の音源としては、1978年に発表された松竹映画『渚の白い家』のオリジナルサウンドトラックがあります。まずこの作品の話からお聞かせください。
林:幻のサントラですね(笑)。これはかまやつひろしさんから声をかけられた仕事でした。劇中の音楽は基本的にかまやつさんが書いていますが、アレンジをやってほしいということで、レコーディングの現場を僕がやることになったんです。当時、僕の知人がかまやつさんのサポートをしていたり、僕が初めてプロデュースした「LOU」という横浜のバンドが選出されたニッポン放送の「ライオンフォークビレッジ」でかまやつさんが審査員で関わっていたりと、割と近いところにいたんです。それでかまやつさんの曲を僕がアレンジするようになって、よく遊びにも行くようになったんです。そんなお付き合いの中で生まれた仕事でした。
――加橋かつみさんが歌う主題歌「12時の讃歌」も林さんのアレンジで、作曲がかまやつさん、作詞が松任谷由実さんですね。
林:その辺りも全部かまやつさんの人脈です。ただ、かまやつさんはアレンジされないから、細かいオーケストレーションとか、映像にタイムをピッタリ合わせることができる音楽家を探したところ、僕がたまたまそばにいたので声がかかったんでしょう。僕はその前にも映画やテレビの音楽はやっていましたから、この映画の監督からの要求に対して、曲を足したり、色々と補足が必要になってくる時、そこを理解できる人間として参加したという感じでしょうか。

――この時の演奏は「ムッシュ・スクランブル」というバンド名になっていますが、メンバーは覚えていますか?
林:教授(坂本龍一)がいたのは覚えてます。あとは鈴木茂さんやミッチー(林立夫)もいたような気がします。が、あまりよく覚えていないですね。
――監督は日本のクロード・ルルーシュと呼ばれた斎藤耕一さん。
林:神代辰巳監督の『櫛の火』(1975年)という映画が最初です。その頃僕は発足間もないキティミュージックの作家で、キティの社長でありプロデューサーの多賀英典さんと一緒に音楽をやっています。”一緒に音楽をやった”というのは、今は映画の「音楽プロデューサー(音楽監督)」と「音楽」は別々のクレジットになっているけれど、この時代は「音楽」と1つの表記にされていたので、多賀さんはプロデュース的な部分を担って、実際の音楽は僕が作りました。この映画の音楽を、主演の草刈正雄さんが気に入ってくれて、その後に草刈さんが主演した若大将シリーズの主題歌(「愛の詩をあなたに」)を僕が作詞・作曲することになったんです。
――そんな経緯があったんですね。『渚の白い家』の翌年にも、キティが製作に関わった映画『ベルサイユのばら』で、沢田亜矢子さんが歌う日本版主題歌「ベルサイユのバラ(「ベルサイユのばら」より)/オスカルのテーマ」を作曲されています。これは日本製作なのに、監督がジャック・ドゥミ、音楽がミシェル・ルグランというすごい布陣ですね。
林:キティの多賀さんは映画製作に興味があって、小椋佳さんのアルバムを青春映画のサントラとして発売したりしていました。その後キティは本格的に映画に参入していきますが、その代表的な作品でした。映画についてはワールドワイドな展開を考えていたのではないでしょうか?豪華なスタッフと外国人キャストで固められていました。日本版主題歌に関しては、ルグランの作った音楽に日本語の歌詞をはめ込んでヒットさせるという、よくある手法とは別に、イメージソングという日本向けのバージョンを考えていたんだと思います。それで多賀さんから僕にオリジナルの曲を書くようオファーがありました。ヴォーカルの沢田亜矢子さんは、映画製作に参画していた日本テレビ側からの推薦だったと思います。
――多賀さんについての思い出はありますか。
林:とても作品作りにピュアな方で、キティにいた時は随分可愛がっていただきました。キティでは僕が最初の契約作家で、その頃、来生たかおさんもいたんだけど、彼はまだ作家としてではなく、アーティストとして多賀さんのもとでずっと温められてデビューに備えていました。僕が新人アレンジャーとしてスタジオを終えると、来生さんがミュージシャンにギャラを払うという二人ともまだ駆け出し時代でした。そんなことも今は笑い話だね、と彼と話したりもします。その後、1976年に僕がセカンド・アルバム『バック・ミラー』をリリースし、来生さんが「浅い夢」でデビューするんですが、僕はサムライミュージックを発足し、もっと色々な夢を求めてキティを去りました。
――今回の配信作品以外にも、林さんの関わられた映画・ドラマ音楽のお話を聞かせていただきたいのですが、『ベルサイユのばら』と似たケースで、初期ジャッキー・チェン映画の日本公開版の主題歌を作られていますね。
林:これは当時東映の高桑(忠男)さんというプロデューサーが、ジャッキー・チェンの映画を日本でも売り出していこうとしていたんです。そこで本国で付けたオリジナルの音楽が中国の民俗音楽風だったので、日本の映画ファンにむけた現代的なアクション音楽に付け替えようということでオファーがありました。
さらにパイロット役としてシングルを作り、映画をアピールすることにしたんです。『少林寺木人拳』(日本公開1981年)の主題歌が「ミラクル・ガイ」で、日本公開版では劇中に編入しています。『蛇鶴八拳』(日本公開1983年)や『龍拳』(日本公開1982年)などもやりました。

――『龍拳』の日本版主題歌「ドラゴン・フィスト」はディスコ調ですね。カンフーとディスコの相性の良さを考えてでしょうか?
林:いや、当時そこまでは考えてなかったです(笑)。でも、ベーシックな部分がその後の杉山清貴&オメガトライブの「SUMMER SUSPICION」のイントロのイメージに似ている、と後になってよく言われました。演奏しているMFBというのはもちろんフィラデルフィア・ソウルのスタジオミュージシャンのバンドMFSBのもじりで、実際は当時劇伴をやっていたミュージシャンが色々入れ替わっていて、テレビドラマの劇伴などでは、初期の頃は佐藤準さんとか武部聡志さん、後の矢沢永吉バンドやNOBODYで活躍する相沢行夫さんのバンドもいました。乃木坂の日活スタジオでレコーディングしていたんです。
――東宝でも武田鉄矢さん主演の『刑事物語』シリーズや『ヨーロッパ特急』(1984年)の音楽を手掛けられています。
林:最初は『刑事物語3 潮騒の詩』(1984年)でしたが、制作途中で父が亡くなり佐藤健さんに引き継いでもらったんです。その後、続編の『刑事物語4 くろしおの詩』(85年)を担当しました。その映画のプロデューサーだった『キネマ旬報』の黒井和男さんが、僕の作風を気に入ってくれて『刑事物語』の流れから『ヨーロッパ特急』でも音楽をやりました。これは欧米のメロディアスな映画音楽で育った自分が、本来やりたかった映画音楽が作れた、思い出深い作品ですね。
――他には松竹の『ハチ公物語』(1987年)以降、神山征二郎監督とのお仕事が続いていますね。
林:この頃、VAPで、杉山清貴&オメガトライブや菊池桃子さんである程度実績を残せたので、もう一度ソロ活動に戻って、1986年に『NINE STORIES-Longtime Romance-』というアルバムを出したんです。そんなアーティスト活動を睨んでいた最中に映画『ハチ公物語』タイアップの話を頂きました。そこで書いたのが「ガラスの観覧車」でした。でも、犬が主人公ですから、どこまでそこに合わせなきゃいけないのか?と考えたんですが、この頃から少しずつ、映像から離れた主題歌の作り方をしても良くなってきたんです。それで松竹の奥山和由さんのプロデュースで映画は公開され、大ヒットしました。その後しばらくして奥山さんからのオファーで、『遠き落日』(1992年)『宮沢賢治 -その愛-』(1996年)を、『ハチ公物語』のスタッフで製作することになったんです。奥山さんとはその後も『大統領のクリスマスツリー』(1996年)の音楽をやりましたが、この作品はニューヨークが舞台だから、洋楽で行きたいと思い、ボズ・スキャッグスを主題歌に推薦したんです。あの映画も、本来の自分の音楽性を素直に出せた映画でした。

――アニメ作品にも多数関わっていますが、キングでは2014年に放送されたテレビアニメ『少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR 49-』の主題歌、劇中挿入歌などを多数手掛けられました。

林:原作者の橋口いくよさんは僕の曲が好きで、高校生の頃に『NHKのど自慢』に出演して「北ウイング」を歌った経験があるそうです(笑)。そこでこのアニメをキングで製作する際に、「ぜひ音楽は林さんに」ということで実現した企画です。全作品作詞は橋口いくよさんが書かれています。
――男性アイドルグループの成長を描く物語ですね。
林:アイドル哲学みたいな面白い話ですよね。元々、2.5次元的なものも意識して作られた作品で、アニメと小説とリアルなグループアイドルの形で展開したプロジェクトでした。アニメでは、実際の歌は男性アイドルではなくて声優さんが歌うわけですが、王道的な男性アイドルが席巻した時代とは音楽背景が変化してきた頃だったので、僕としても書きやすかったです。派手に、下世話にヒットを求めるような曲でなくてもいい時代になってきたというのかな。求められているものに対し、自分が書いているスタイルで、直球で返せる仕事でした。
――アニメのお仕事も『キテレツ大百科』や『夢戦士ウイングマン』『ドラゴンボールZ』シリーズなど多岐にわたっていますが、留意される点はどういったことでしょうか。
林:『ハチ公物語』の時と同じで、最初はアニメに準じた主題歌の作り方をしないといけないのか、と心配していたんです。ただ、その点は、僕らの前の作家の方たち――渡辺宙明さんや菊池俊輔さんなどが作っていた時代と、僕らの時では主題歌の役割に若干の違いがあります。最初の頃のアニメは、主題歌がアニメの内容とイコールでなくてはいけなかったけれど、僕らの時代になると、アニメの大意を掴んで、イメージとしての作品を書く――要はヒット曲を書く意識で僕らは受け止めていました。アニメを象徴する主題歌から、アニメにスポットを当てさせるヒット曲の時代への変化ですね。それは『うる星やつら』の「パジャマ・じゃまだ!」も然り、『美味しんぼ』の「Dan Dan気になる」もそんな感じですね。でも、現在はまた変化があって、アニメそのものにコンテンツとしての力があるので、ヒットを要求されることは変わらないですが、「アニメ自体の力もあり、主題歌としての力もある」というWin Winの時代になった気がします。
――ところで今回、キングから配信される楽曲は他にもいくつかあります。順にお話を聞いていきますが、まず1991年の溝渕美保さんに書いた「約束」。

林:松本隆さんの作詞ですね。これは溝渕さん本人には会ってなくて、正直なところ、この頃は忙しくなりすぎて、発注に対して応えていくという作り方でしたから、菊池桃子さんの時のように一人のアイドルにじっくり関わることは無くなっていました。
――2008年の増田惠子さんのアルバム『もいちど遊びましょ Now & Then』に収録された「夢までの時間」については。

林:これは僕も好きな曲で、自分のライブでもカヴァーしたいと思うほど気に入ってます。増田さんは歌も上手いですし、ちょっとポップ感のある歌謡曲、が上手くはまったなと思いました。
――さわち美欧さんのアルバム『Il pleut sur la route-小雨降る径-』で、日本語・仏語の2バージョンが収録された「恋人たちのように」も林さんの作曲です。
林:小澤音楽事務所のシャンソンの歌手で、ケニー・ワーナーなど一流ジャズミュージシャンも参加した海外レコーディングのアルバムです。この曲も僕のSong File Liveでカヴァーしたいと思う1曲です。
――そして、林さんご自身の楽曲で『Perfect World, Perfect Girls(Songwriter’s Version)』も配信となり、Music Videoも公開されました。この楽曲は、2015年リリースの林さんのリーダーアルバム『Touch the Sun』に収録されたものでしたが、ウェンディ・モートンやブルース・ガイチら全曲、外国人ヴォーカリストを起用した楽曲で構成された凄いアルバムです。

林:洋楽を日本の土壌で日本のポップスとして変換し、出し続けていく作曲家の存在は、日本の音楽シーンの一つのスタイルとして定着しています。洋楽との違いは、日本語が乗ることと、英語と日本語ではイントネーションが違うので、メロディーの運びにも若干の違いがあること。でもこのアルバム『Touch the Sun』の時は、「僕の中で感じている洋楽」を作りたかった。日本人が書いたことをまったく感じさせない曲として。だから海外のシンガーと組んでやってみたんです。振り返れば70年代には、海外を目指して作品をアピールして行き、最初は「日本から訳の分からないやつが来た」みたいなムードだったのが、曲を聴いているうちに目の色が変わって最後は握手を求められた、そんな経験をして、その後ジグゾーに「If I have to go away」という曲を書いてビルボードにチャートインするという結果が出ました。このアルバムを出したのは、そういうキャリアの上で、自分にもこういう曲が書ける、という自己証明のようなものです。
80年代に、ヒットを求められた嵐のような時代があり、それが過ぎ去って、気がつけば「作曲家」というスタンスの人が少なくなっていた。それを(筒美)京平先生は嘆いていたけれど、僕も時代の変化を感じていた時期だったので、一度自身のアイデンティティを出そうと制作したアルバムです。
――作家が一度は出さなくてはならない、出すべきアルバムだったんですね。
林:実は、僕がやってきた洋楽的なものに日本語が入り日本のポップスになっていく過程と、僕がこのリーダーアルバムを作ったベクトルとは全く違ったものになっているんです。別個のものなんですよ。それで今、大滝詠一さんのやってきたことがすごく理解できるようになったんです。
――どういうことでしょうか。
林:僕はインプットしたものを、できるだけ洋楽的な形にしたい願望が強かったけれど、大滝さんはそれを「日本のもの」として出していた。僕は当時、その手法はとりたくなかった。顕著な例がオメガトライブで、若干はドメスティックに寄せているけれど、僕としては洋楽を意識したかった。でも大滝さんは当時から、「日本人が作るんだから完璧な洋楽にはならない」という意図のもと、どこにもない音楽を作り上げたんです。音頭をやっていたのもそういうことでしょう。洋楽と同じものができるわけがない、という割り切りの中で楽曲を作っていたわけで、「風立ちぬ」なんて、どうしてこんな独特のものが出来上がるんだと今聴いても驚きますよね。
振り返って、いま僕が評価されているシティポップという部分は、実は「洋楽を求めたんだけど、そうはならなかった部分」で評価されているんだと思います。
――どこかに日本的な隠し味が含まれているからこそ、完全な洋楽ではない、日本発のシティポップがワールドワイドに人気を得たと。
林:そうです。そう考えると、僕のやってきたことと、大滝さんがやっていたことは、サウンドや作り上げた世界は違うけれど、指向としては同じものになっていた。僕がやってきたことも、そういう位置になったんだなと実感しました。

――他にもキングでは、布施明さんの一連の作品を手掛けています。
林:作曲家として歩き始めた初期の頃の仕事です。この頃、布施さんが自分で曲を書くようになって、そのアレンジを渡辺音楽出版のディレクターから依頼されました。最初は、布施さんが1977年に自作したアルバム『そろそろ/布施明マイセルフ』で2曲ほどアレンジをして、その翌年、『今夜は気取ってみたらいい』というアルバムで本格的に作編曲で関わるようになりました。シングルになった「今夜は気取って」は、布施さんの描いていたイメージに対し、まるっきり洋楽っぽいバッキングにしてメロディが生きるようにアレンジを施しました。それからお付き合いが始まったんです。

――その1978年には『THE LOVE, DREAMS AND TEARS -WHEN HE SINGS FOR “TAKARAZUKA”-』という、布施さんが宝塚歌劇団の作曲家・寺田瀧雄さんの作品を歌う画期的なアルバムでもアレンジを手掛けています。
林:宝塚に男性が入るなんてあり得ない時期に作られた、前代未聞の企画ですよね。寺田さんのオリジナルは宝塚の舞台で歌い継がれてきた名曲ばかりなので、これをいかに現代的なアレンジにして、新しい感覚でポップに変換できるかが勝負でした。
――同じ年の「君の歌がきこえる」も林さんの作曲です。
林:渡辺プロダクションの渡辺晋社長が「いい曲だ」と言ってくださり、第7回東京音楽祭にエントリーされたんです。世界大会では最優秀歌唱賞を受賞しました。
――79年の「恋のサバイバル」はグロリア・ゲイナーのカヴァーでしたが、このアレンジも林さんでした。
林:カヴァーのアレンジは、オリジナルのアレンジと同じでも、カヴァーしたアレンジャーのクレジットになりますよね。僕はその際、原曲のアレンジも同時にクレジットすべきだと思っているんです。この時も、原曲のアレンジをベースにしていますが、まったく同じことをやるのもどうかと思ったので、イントロを付けています。
――シンガー布施明さんの印象はいかがでしたか。
林:音楽的な才能もあるし、ヴォーカリストとしても大変優れた方です。アーティストでもあるので、ご本人の主体性を出す場合と、あえて作家に委ねる場合と、その両方があっていいと思います。またいつか作品を提供する機会があるのなら、クラシカルな、イタリアンポップみたいなメロディを書いたら良い作品になるのではないかと思っています。

――また今回、林さんが提供楽曲やご自身の楽曲をセレクトされたプレイリストが公開されるので、ここからは、その中から何曲かお話しいただければと思います。まず、『Pop Music Best』に収録された松田聖子さんの「LET’S BOYHUNT」。

林:松本隆さんと組んで書いたものには好きな作品がいっぱいありますが、特に聖子さんの曲は、今聴いても大好きな作品です。彼女は本当に歌が上手いし、全てポップになる。以前、彼女のライブに行った際にこの曲を歌ってくれたんですが、すごく良かった。
――他のアーティストでは、ビリー・バンバンの93年作「季節は回転木馬のように」があります。
林:これは自分でもカヴァーしたい1曲です。萩田光雄さんのアレンジも素晴らしいし、菅原兄弟は声に品があります。僕も大好きな曲です。
――香港の歌姫、アニタ・ムイさんの日本デビュー曲「なんとなく幸せ(不信愛有罪)」も選ばれています。
林:これは、なかにし礼さんの作詞ですね。ボサノヴァの心地よい曲で、萩田さんのアレンジもいい。ご本人もこの曲が好きで、香港に帰られた後も、中国語でこの曲を歌ってくれていたんですが、そちらの方がより魅力的に聞こえますね。残念ながら2003年に亡くなられましたが、独特の声質を持った、本当に歌の上手い方でした。
――『Citypop Best』でセレクトされている、郷ひろみさんの1979年のアルバム『SUPER DRIVE』収録の「入江にて」。この曲は今のシティポップがブームになる以前から人気曲でした。

林:バックが24丁目バンドで、これも萩田さんがいいアレンジをされています。DJの人が以前から好きでかけてくれていた曲でした。
――『Ballade Best』では、2012年の戸田恵子さん「眠れない夜の窓辺で」が選ばれています。

林:僕が作ったバラードの中でも、何本かの指に入るくらい気に入ってる曲です。自分のライブでも、僕のバンドのヴォーカリストのiCHiHOに歌ってもらっているんですが、必ずオーディエンスから大きな拍手が湧くんです。作曲家としての技術面、アレンジも含めてすごくいい作品が書けたと自負しています。戸田さんは歌がしっかりしていますし、役者としても素晴らしいので、もっと歌う場面があればいいんですが。
――海外のリスナーも、メロディアスなものを欲しがっているのでしょうか。

林:究極はそこですよね。ラップの反動も大きいんじゃないでしょうか。正直、80年代にラップが出てきた時は、この文化は長続きしないなと思っていたんですが、意外や意外、今やポップミュージックのメインストリームになってしまった。ただ、「最後はメロディーが勝つ」という気持ちになったのは、数年前にブルーノ・マーズがハワイから出てきて、グラミー賞を総なめにしたでしょう。あの時期に、レイドバックした音楽がここまで受けるのには何かがある。メロディーに回帰しているんじゃないか?と思ったんです。
僕はシティポップの人気について、海外のDJと話した際に「どうして、あの当時僕らが意識した原音、オリジナルに戻らなかったのか?」と聞いたことがあるんです。曰く「それはリバイバルだ。そうではないものが受けているんだ」と言っていました。原音とは言葉も違うし、メロディの細かさや哀愁味など、肌感覚で違うから、「シティポップ」という捉え方になったんだと思います。それにサブスクリプション、SNSの時代になって、その楽曲の背景と関係なしに聴くリスナーが増えた。
――聴き方の違いから生まれた現象だと。
林:ええ。スカンジナビアとか東欧のリスナーが聞いてるとなると、ワールドワイドだなと思いますよ。でも1つだけ、なぜ言葉の壁がなく、日本語の歌詞を聞いていられるのか? この新しい聴き方が起きた時、日本語もサウンドの一部として聴いているんだと思いました。僕らが洋楽を聴いていても、ちょっとした英語のセンテンスはわかるけど、すべての歌詞までは分からないですよね。ヴォーカリストの声質とニュアンスがサウンドとして耳に入ってくるから、「ああ、オリビア・ニュートン=ジョンはいいな」「ボズ・スキャッグスの歌はいいな」と思える。それと同じことじゃないかと。それだけヴォーカリストの声質は重要なんだと思います
――本日はありがとうございました。これをお読みいただいた皆さんには、ぜひ、この機会に林さんの幅広い音楽世界を配信でも堪能していただければと思います。
林:若かりし頃の作品群も多いですが、ぜひ聴いてみて下さい。
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林哲司(はやしてつじ)
1973年シンガーソングライターとしてデビュー。以後作曲家としての活動を中心に作品を発表。竹内まりや「SEPTEMBER」、松原みき「真夜中のドア〜stay with me」、上田正樹「悲しい色やね」、杏里「悲しみがとまらない」、中森明菜「北ウイング」、杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語-NEVER ENDING SUMMER-」など全シングル、菊池桃子「卒業-GRADUATION-」などアイドル時代全曲、稲垣潤一「思い出のビーチクラブ」など、2000曲余りの発表作品は、今日のシティポップブームの原点的作品となる。また、映画音楽、TVドラマ音楽、テーマ音楽、イベント音楽の分野においても多数の作品を提供。ヒット曲をはじめ発表作品を披露するSONG FILE LIVEなど、積極的なライブ活動も行っている。
林哲司 公式HP http://www.hayashitetsuji.com
林哲司 公式X(旧Twitter) https://x.com/SamuraiMusicPJ


