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【伊福部昭 特集】岩瀬政雄 インタビュー(後編)
進行・文:鈴木啓之 / 写真:Ryoma Shomura
2024.11.1
(前編はこちら)
――今回CDになる『ゴジラ』と『キングコング対ゴジラ』の音楽テープは、岩瀬さんの手元にあったものと伺ったのですが。
もともとは撮影所の録音センターの棚に無造作に並べられていたものですけど、録音センターが建て替えをするのでテープを引き取って欲しいと担当の人が言ってきたんです。それで私がいた東宝ミュージックが6ミリ磁気テープを全部引き取ることになって。これは日本映画の財産だから潰しちゃいけないと思ったんです。倉庫に入れたんだけど、ゴジラのテープはレコードにしたりして使用頻度が高いので、たまたま会社の自分の机に置いていたんです。それを見た人から是非出させてくださいということだったんです。東宝ミュージックに保管されていたものです。
――当時の映画音楽のマスター音源はレコードと同じように6ミリ磁気テープが使用されていたわけですね。
1954年に初めて6ミリを使うんですよ。昭和29年。この年は音響的にもターニングポイントで、それ以前は全部光学録音でダビングの時はセリフも効果も音楽も一斉に録ってたんです。演奏家を揃えて、効果の人がいて。セリフだけは先に録音してたんだけど。芥川(也寸志)先生から伺った話ですけど、『雪国』(1957監督:豊田四郎 音楽:團伊久磨)という映画で列車がトンネルに入るシーンがあって、そのトンネルに入る前から音楽をつけていたと。ところがトンネルに入っちゃうと、演奏家にも指揮している自分にも音が全然聞こえない。それでトンネルを抜けた時に僕の指揮棒と演奏が合ってた時はホッとしたよって。そんな時代でした。東通工(ソニー)が6ミリの磁気テープを開発して東宝に持ち込んだのは1954年。これは偶然なんだけど、東宝で言えば『ゴジラ』と『七人の侍』が公開された年で、この2つは6ミリ磁気テープが残ってる。だけどあの当時は、映画の録音技師はまだ信用してなかった。フィルムと違って脇に穴ぼこが開いていないから、音がズレるっていうんです。だから本番には使わなかった。『ゴジラ』も『七人の侍』も試しに6ミリを回したけど、本番はダイレクトの光学録音だった。でもそこで6ミリを回してくれていたおかげでこういうレコードを作れたわけなんです。おそらく6ミリ磁気テープを使ったのは東宝が最初だったと思います。映画の録音技師が信用して音楽が全部6ミリになるのは、2~3年かかったようです。6ミリでの録音っていうのは、僕らが今考えるよりもはるかに音楽業界の人にとっても映画業界の人にとっても画期的だったみたいで。作業が格段にやりやすくなった上、それまでの光学録音ではカットされていたハイとローの音がちゃんと入るようになって、音質的にも格段の違いが出たんですよね。
※今回使用された6ミリ磁気テープ
――音響の革命になったその2作品の音楽が伊福部昭さんと早坂文雄さんだったというところに何か運命的なものが感じられますね。
本当にそうなんですよ。当時の6ミリ磁気テープを聴くと、時々現場の声が残っていたりする。「オッケー!」とか「ダメだよ!」とか、黒澤(明)監督の声が入ってたりして。あれはなかなかすごいものですよ。そういったものも込みで、現場の雰囲気を伝えられるサントラ盤を後世に残せるとさらに面白いかもしれないですね。
――今回のCDで従来のファンはもちろん、また新たにゴジラの音楽を聴くファンも増えると思います。昭和で一旦ピリオドを打ちつつ、平成以降もまた続くことになるゴジラはずっと新しいファンがついてくる稀有なシリーズですよね。
本来ゴジラっていうのは昔から祀られてきた神社の祝祭と鎮魂を象徴するような、人間の知恵を超えた存在であると。もしかすると最初に『ゴジラ』の企画が出された時、一番深くその意味を理解していたのは、プロデューサーよりも監督よりも役者よりも伊福部先生だったんじゃないかなっていう気がしてます。ゴジラは人間の奢りや高ぶりを諌める存在として出てくる。でもそれは人間側からの勝手な理屈であって、ゴジラはそんなこと何も考えてない。突然現れて、一言で言うと不可解。伊福部先生の音楽にもそこが表現されてるんじゃないですかね。ジャン・レノが出たアメリカ版『GODZILLAゴジラ』(1998 監督:ローランド・エメリッヒ 音楽:デビッド・アーノルド)の日本でのプレミア上映があって、先生にも来ていただいたんです。その帰り、先生があまりご機嫌じゃなかったので「映画どうでした?」って伺ったら、「不思議がなくなりましたね」って一言。あの映画はゴジラに科学的な理屈をつけてるんです。先生はそこに違和感を覚えたらしく。もう二の句がつげないという感じでしたね。
ゴジラは3作目の『キングコング対ゴジラ』(1962)から変わっていきました。それはエンターテインメントとしては正しかったのかもしれない。平成ゴジラもずっとそういう形で来ましたけど、それをもう一度、理屈もなく突然現れて暴れ回って帰ってくっていう、そういうゴジラに戻したのが庵野(秀明)監督であり、山崎(貴)監督というわけで。あの2人はちゃんと深くわかってる。変な理屈はつけてないなと思って作品を観ました。『シン・ゴジラ』(2016)や『ゴジラ-1.0』(2023)は伊福部先生がご覧になっても納得される映画じゃないかな。
――東宝チャンピオンまつりでゴジラに出会った世代にとっては、ゴジラは人類の味方だったわけで、原点回帰となった最近の作品を拝見すると全く違う映画だなと思います。80年代以降、岩瀬さんが実際にゴジラシリーズの音楽制作に携わられた際のお話も聞かせていただけますか。
復活した『ゴジラ』(1984)の企画が出た時に、坂本龍一さんに音楽を頼んでみようかという話が出て進めようとしたんだけど、実現できませんでした。その次に大森一樹監督で 『ゴジラVSビオランテ』(1989)を撮ることになって。プロデューサーの富山省吾さんと音楽をどうするかと話して、ゴジラを新しくしたいんだったら昭和から離れるべきだと言ったんです。大プロデューサーの田中友幸さんや録音技師が、「伊福部さんの音楽だとゴジラがデカくなるんだ」って言うわけです。じゃあどうしてもというのであれば、ゴジラが登場するシーンには伊福部先生の音楽を使って、他のところは作曲家を替えた方がいいって言ったんです。で、ちょうどその時、流行ってたのがゲームのドラクエ(エニックス (当時)「ドラゴンクエスト」)だったこともあって、すぎやまこういち先生に頼んだ。そうしたらすぎやま先生もかっこいい音楽を書いて下さったんです。映画が完成してみると、すぎやま先生の音楽もとても素晴らしいのですが、ゴジラが登場するところに流れる伊福部先生の音楽のアクの強さが圧倒的で、すごく印象に残りました。
――その次の『ゴジラVSキングギドラ』(1991)で伊福部先生が再び音楽を担当されましたね。
先生は「もう映画音楽はやりませんから」って仰ってたんですよ。『お吟さま』(1978)という作品を最後に10年以上東京音大の学長のお仕事に専念されていたから。それで富山プロデューサーと相談して、なんとかお願い出来ないかと先生のお宅に伺ったんです。 で、2回断られたんですが、3回目に先生が、「他ならぬ田中友幸さんの頼みでもあるし、三顧の礼の例えもあるからやらしていただこうかな」と。その時の条件としては、 東宝の録音センターで映写しながらの同時録音でということで。当時はもう音楽録りは全部外のスタジオで、セパレートスタイルで録る時代で音楽録音の機材は録音センターにはない。、昔のやり方だとかなりお金もかかるんです。でもプロデューサーがそれでもいいと言ってくれたので。考えてたよりも はるかに大変で。ライブ録音用の機材車を横付けにして、マイクコードを引っ張り、手元ランプの付いた譜面台を揃えて。しかも8月末の暑い時期、機材車は電気を喰うし冷房もガンガン効かせて電気量が足らなくなって。普段やらないような課題が山のように起きました。それでもなんとかこぎつけて、最初のラッシュ映像(※編集途中の映像)を大きなスクリーンに映して、先生が棒を振った時には「おー、すごい!」と感動でした。外のスタジオでビデオを見ながらでは、この音は出ない。先生が録音センターで同録に拘ったのが納得でした。
――伊福部先生の久しぶりの映画音楽ということでオーケストラの方々の緊張感もかなり伝わったのではないでしょうか。
先生は日頃から「綺麗な音楽である必要はない。映像を見せちゃうのが一番早いんです」と仰ってました。演奏家の人達も録音が始まるとみんな後ろの映像を見ながら納得するんです。格闘シーンとかだと演奏も力強く、ちょっと荒っぽくなる。一発録りだからもちろんいつもと違う緊張感もあったけど、みんな喜んでたんじゃないかな。若い演奏者にとっては古きよき時代の贅沢な音楽録音が体験出来たわけです。その後『ゴジラVSデストロイア』(1995)まで全部で4作品を担当して頂き、8月末の録音は恒例となりました。「ゴジラVSメカゴジラ」の時の音楽録音の様子は映像に残しており、これを見せて映画音楽の録音はこうだったと映画の学校で話すことがあります。
――そうやって贅沢な環境で映画が撮られていた時代のことをこれから現場に入っていく人達に伝えるのは大事ですね。最後に改めて岩瀬さんのゴジラや伊福部先生への想いをお聞かせください。
作曲家と監督、あるいは作品との組み合わせは本当に偶然で、伊福部先生がよく仰ってたのですが、「どういう基準でプロデューサーが作曲家を選ぶかっていうのは、私は未だにわからない」と。ただ、ゴジラで先生が決まったのは、当時は大編成の音楽を書ける作曲家ってあんまりいなかったんです。そういうオーケストレーションをちゃんと勉強していた人が。それと映画音楽はクラシックの作曲家を目指す人には一段低く見られていた。そんな中で重厚なシンフォニーの様な音楽を書ける数少ない作曲家の1人が先生だったわけです。だけど、それ以上の理由がどこにあったかはわからない。あの頃1か月に5本10本映画が作られていた中で、作曲家のローテーションも大変だった。そこで伊福部先生とゴジラが出会えたのは、ほとんど奇跡。こういう幸運なこともあるんだなと思います。作曲家にとって、純音楽を書くときは自分が全てを決められる。 だけど映画音楽の場合は映像という絶対的なものがあって、監督という絶対的な存在がいるわけです。映画は、そういう絶対者を祭り上げないと成立しない。みんなが主観を言っちゃったら成り立たない。作曲家は自分にないものを要求されたり、思いが異なる場面にも応じざるを得ない。ゴジラに関しては、伊福部先生は微塵も自分を曲げないでやれちゃったんです。本多(猪四郎)監督がとても理解ある人だったことも大きかった。それは本当に幸運なことだったと思います。先生には現代映画の恋愛ものの依頼とかもたまに来たらしいんだけど、あまり好きじゃなくて、ハモンドオルガンを使ったりしてお茶を濁してたらしいですから(笑)。それで、ゴジラが来た時に、「ああいうゲテモノ映画はやめた方がいいよ」って作曲家仲間内から言われたにもかかわらず、「不本意な恋愛映画で自分にないものをやるくらいだったら、このままの自分を出せる映画がいい」って引き受けた。結果、ゴジラにとっても良かったし、先生にとっても良かった。本当に幸運な偶然だったと思っています。
――伊福部先生の音楽や特撮映画の音楽が、令和の今もこうして潤沢に聴くことが出来るのはやはりサントラ盤の新たな可能性を切り拓いた岩瀬さんの役割が非常に大きかったのだと思います。
いや、私はたまたまそういうポジションにいて今に至ってるだけなので。貝山さんとか竹内君とか、周りの人のアドバイスや提案もあったおかげで形に出来たことは結果的によかったと思ってます。作品に対するマニアックな志向が高まっていった時代のタイミングもありましたね。
【Release Information】
『ゴジラ』と『キングコング対ゴジラ』のオリジナル・サウンドトラックがLP再発売&初CD化
2014年に、当時、東宝ミュージック社長岩瀬政雄氏が管理していたマスターテープを基のテープの音に近い状態で丁寧にリマスタリングしたものでLPとして発売した。今回はそのマスターテープを使用してのLP再発売と初めてのCDの発売となる。
「ゴジラ」オリジナル・サウンドトラック
・LP(KIJS-90043) 定価:¥5,500(税込) 11月3日(日)発売
https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKIJS-90043/
・CD(KICS-4171) 定価:¥3,300(税込) 11月6日(水)発売
https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICS-4171/
「キングコング対ゴジラ」オリジナル・サウンドトラック
・LP(KIJS-90044) 定価:¥5,500(税込) 11月3日(日)発売
https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKIJS-90044/
・CD(KICS-4172) 定価:¥3,300(税込) 11月6日(水)発売
https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICS-4172/
SACDハイブリット盤「伊福部昭SF特撮映画音楽の夕べ」実況録音盤も発売!
1983年8月5日、日比谷公会堂で行われた、伊福部昭ルネサンスのきっかけとなった伝説のコンサートの実況録音盤をSACDへ完全復刻。
デジタル録音の最初期でもありデジタルテープとアナログテープの両方が同時に廻されていた。今回は、アナログテープを採用してSACD用に新たにマスタリングを施している。また、アートワークは、最初に発売されたLPを完全に復刻しており、豊富なステージ写真も封入。
「伊福部昭SF特撮映画音楽の夕べ」実況録音盤
・SACDハイブリッド盤KIGC-37 定価:¥4,400 11月6日(水)発売
https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKIGC-37/
【キング伊福部まつり 絶賛開催中!】
キング伊福部まつり オリジナル特典「オリジナルチケットホルダー」もついてくる!
詳細はこちら
https://www.kingrecords.co.jp/cs/t/t15420/