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【高橋幸宏 特集】海外からの寄稿|高橋幸宏へ寄せて
逝去から約一年、ソロデビューアルバム『サラヴァ!』(1978年)、続く2nd『音楽殺人』(1980年)の
リリース記念日にあたる6月21日に合わせ、高橋幸宏の魅力を探求する特集を実施。
SOUND FUJI 編集部
2024.6.21
【高橋幸宏 特集】
寄稿『私とサラヴァ!』/ 海外からの寄稿|高橋幸宏へ寄せて
高橋信之×小原礼×東郷昌和×小林啓子 座談会インタビュー[前編]/[後編]
サディスティック・ミカ・バンド、イエロー・マジック・オーケストラで海を渡った高橋幸宏。数々の交流の中で特に親交の深かったロック・バンドJapanのドラマー、スティーヴ・ジャンセンと『サラヴァ!』のコンセプトの根幹となった映画『男と女』のピエール・バルーのご子息ベンジャミン・バルーから、高橋幸宏とのエピソードを交えながら彼に対する思いが綴られた寄稿文を寄せていただいた。
スティーヴ・ジャンセン
幸運なことに、幸宏とは40年以上も幾度となく仕事をすることができ、日本では数々のツアーや特別なイベントを開催してきました。私たちは、ほとんどの場面で相互理解があり、日本とイギリス両方で一緒にレコーディング・プロジェクトを展開していく中で、長年にわたって多くの笑いとクリエイティブな経験をしました。近年では、私の写真集『Through A Quiet Window』の日本での出版を彼のプロデュースのもとで展開しました。彼は常に先を見据えて情熱を持っており、彼のチームの一員であることが、人々にとって喜びであることは明らかでした。私は幸宏が、彼を知る人々の人生に明るさと笑いをもたらしているのを感じました。彼は、モダンで進歩的な考え方とともに、非常に伝統的な日本の価値観を吹き込む完璧なプロフェッショナルでした。
幸宏の初期のアルバムは、彼のダイナミズムと日本国外からの音楽の影響を示していました。特に、フランスの音楽とアート、そしてレゲエ・ビートへの情熱が際立っています。私が幸宏のソロ・プロジェクトに参加した頃には、彼はテクノ・ポップ・シーンに進出し、YMOの活動のおかげで、作曲やプロダクションの価値から、かなり先を行っていました。ドラムとコンピューターがこのようなレベルで初めて生演奏される、この超精密な音楽を任されたことは大きな喜びであり、光栄なことでした。人間と機械が有機的にシンクロするサウンド-YMOのような日本のアーティストが先鞭をつけた重要なムーブメントでした。『Murdered By The Music』に収録された曲のいくつかをこのライブ・フォーマットに組み込むことに成功したのですが、(私の中では)特にドラムの観点から、ほとんどある種の「ポスト・パンク/スカ・テクノ・ロック」のように感じられたのです。「Neuromantic」や「What Me Worry」の持つセクシーで硬派なグルーヴから、少し軽快で軽薄なものにしました。1982年のライブ・セット(※)は、そのために昇華されたのだと思います。
※1982年に開催されたツアー『YUKIHIRO TAKAHASHI TOUR ’82 WHAT ME WORRY 』
プロフィール
1959年イングラントのロンドン出身のドラマー、作曲家、レコードプロデューサー。
1974年、実兄のデヴィッド・シルヴィアン、ミック・カーン、リチャード・バルビエリと共にバンドJapanを結成し、1978年ファーストスタジオアルバム『果てしなき反抗』(Adolescent Sex)をリリース。1982年の解散後はバルビエリや高橋幸宏といった国内外のアーティストとのコラボレーションや、さまざまなユニット、ソロ名義で活動。
音楽活動に加え写真家としての顔も持ち、2015年にはJapanのメンバーや親交のあったYMOの姿が収められた写真集『Through A Quiet Window』を発表。日本版の出版においては高橋幸宏がプロデュースを行った。
ベンジャミン・バルー
高橋幸宏は、その振動で私たちを魅了し続ける寛大なアーティストです。彼のディスコグラフィーを見ただけでも、めまいがするほどです!あらゆる音楽的、詩的なソースを駆使して、彼はエレクトロ-アコースティックの波の頂で弾むリズムとハーモニーの偉大な建築家なのです。私は、1978年に録音された彼の最初の作品『Saravah!』のリイシューにて光栄にもイントロダクションを執筆させていただきました。(※)言うまでもなく、私の父ピエール・バルーのSaravahレーベルと彼の 「Samba Saravah 」がアルバムのオープニングやサウンドに響いています。(『Saravah!』のリリースから)数年後、ピエールは東京で幸宏”卿”(私の父は彼をそう呼んでいました)と出会い、最も美しい楽曲(デヴィッド・シルヴィアンとの)「Le Pollen」を含む2曲をレコーディングしました。ピエールと幸宏は年齢差が20年、そして大陸をひとつ隔てていますが、彼らの世界が交差するとき、両者の世界が交差するとき、一方(ピエール)は”サラヴァ”という挨拶に呼び寄せられたブラジルとサンジェルマン・デ・プレの魔法を伝え、もう一方(幸宏)はサウンドイノベーションを駆使することで、”サヨナラ”の言葉が神秘的に聞こえると確信しています。彼らは、恐れやユーモア、そしてオフビートなロマンチシズムを好む点で共通しています。未来でも過去でもない、”こんにちは”と”さようなら”の間にある”もうひとつ”の時間の中で出会い、2人は調和し揺さぶりあうのです。これこそ「サラヴァ・ムード」と呼べるものであり、高橋幸宏という天才のおかげで存続している、絶え間なく生まれ変わる精神です。
※2019年にイギリスのレーベルWewantsoundsから発売されたリイシュー盤
プロフィール
1970年パリ生まれ。1990年にロンドンで映画を学んだ後、1994年に日仏文化誌『Popo color』と実験音楽集『Popo Classic Collection』を創刊。1996年、父ピエール・バルーのレーベル『Saravah』のチームに加わり、バック・カタログの活用と新プロジェクトのプロデュースに取り組む。1999年には 『Kings of Slow Bizz』シリーズを立ち上げ、一連のエレクトロニック・ミュージックEPを制作。2009年に初の著書、2018年に2冊目の著書『Saravah, where is the horizon? 1967-1977 』を出版。Saravah レーベルの歴史と、モンマルトルにある伝説的なパリのレコーディング・スタジオについて述べている。2019年以降は自身の父の70年代の道のりについて捧げるドキュメンタリー映画を制作中。