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【高橋幸宏 特集】高橋信之×小原礼×東郷昌和×小林啓子 座談会インタビュー [後編]

本サイトのオープンを記念した第1弾特集として、逝去から1年が経ち、ライブ映像の劇場上映や展覧会の盛況ぶりが話題になるなど、今もなお多くのファンに愛される高橋幸宏の特集を実施。

特集の最後を飾るのは、高橋幸宏の実兄・高橋信之、小原礼、東郷昌和(BUZZ)、小林啓子の4名による座談会インタビュー。
思い出の地に集い、貴重なエピソードの数々を振り返りながら"高橋幸宏の人物像" "共に制作した音楽作品"に迫るインタビューを
前・後編の2回にわたってお届けする。

進行・文:馬飼野元宏 / 写真:Ryoma Shomura

2024.7.29

(前編からの続き)

――高橋幸宏を語る座談会、後半は1978年に幸宏さんが発表したファースト・ソロ・アルバム『Saravah!』のお話から伺います。

高橋 これは、幸宏が僕から離れて、自分の音楽を作ろうとした最初のアルバムだったと思う。ミュージシャンも、自分がいい、と思った人を全員集めてる。教授(坂本龍一)はすごい弦アレンジをやっているし、細野(晴臣)くんもベースで参加している。

東郷 サディスティック・ミカ・バンドの高中(正義)、今井裕、林立夫もいるし、大村憲司、鈴木茂まで入ってる。コーラスが僕とラジ。ラジはこのあとソロ・デビューするんだよね。

小原 僕以外全員いるよ(笑)。

高橋 このとき、もう小原はアメリカに行ってたんだ?

小原 うん。これは78年だから、YMOはこのあとなんだね。僕の中の幸宏ってドラマーであって、ソングライターじゃなかったから、僕がアメリカに行って、しばらくして帰ってきたらいきなり歌ってるから、あれっ?どうなってるの?(笑)。

東郷 歌に関して言えば、2018年にこのアルバムをリメイクした『Saravah Saravah!』を出したけれど、僕はオリジナルの方が好きなんです。「前の方がいいよ」と僕は言ったけれど、幸宏は「いや、あれは恥ずかしくて人に聞かせられない」って言っていた。幸宏のYMO時代の歌い方は、よくブライアン・フェリーの影響って言われるけれど、実はアマチュアの頃からああいうスタイルでした。

――ラテン系の曲やカバーも入っていますね。

東郷 「VOLARE」とサンバの曲(「C’EST SI BON」)は、あいつが入れたい2曲だったんです。

高橋 幸宏が影響を受けていたのは、ヨーロッパの感覚だった。あの当時、幸宏にとって一番オシャレだったんだ。生きていく上で、一番面白い生き方はなんだろう、と考えてこの路線になった。だからわざわざ鋤田正義さんに頼んで、コンコルド広場まで撮影に行ったんだもん。

小林 予算あったんだねえ。今じゃ考えられないですよね。

高橋 彼がそれまで培ってきたセンスとノウハウをここに注ぎ込んだ感じはしますよね。映画の『個人教授』や『男と女』、あの時代のヨーロッパのかっこよさ、ファッションもひっくるめて、幸宏が一番かっこいいと思った世界を凝縮したんだね。

小林 信之さんは、何か幸宏さんに伝えたんですか。

高橋 僕はこのとき、「幸宏が自分で考えて作った方がいいよ」って言ったんです。兄の影響を一切出ないように、どういうものを作ったらお前自身になるか、を考えて作った方がいいぞ、と言ったら教授にアレンジを頼んだ、そんな記憶があります。このアルバムは、幸宏が僕から離れてインディペンデントした、最初の作品。それまではどうしても兄の影響を受けていて、それは音楽をやっていく上では重要だったと思うけれど、でもこのアルバムで彼は自分を確立したんだと思う。

――1980年に発売された、キングでの2作目のソロ・アルバム『音楽殺人』はまたガラッと印象が変わりましたね。

小林 これも安藤さんとやったんだ。

高橋 この二枚は全然違うでしょう。『Saravah!』の方はセンスが詰まっている。『音楽殺人』になると、YMOをやっている時期のリリースということもあるだろうけれど、もっと楽しくポップなものが詰まっている。外に向かっているよね。

小原 これって、スティーヴ・ジャンセンとかはもう関わってるの?

高橋 いや、アルバムのレコーディングはまだやってない。

――この間、幸宏さんはYMOでも大人気だった時期ですが。

高橋 日本のロックも、YMOあたりに来ると、かなりオリジナリティが出ているよね。もちろんそれが始まったのはミカ・バンドあたりからだと思うけれど。

東郷 幸宏は意外と土臭い、岡林信康さんみたいなフォークとか、意外と土臭い音楽も好きで、YMOの中でも現代的なメロディーを作っていますよね。

高橋 それって「ライディーン」のこと? あれね、実は僕ら兄弟は『七人の侍』が好きだったんだ。黒澤明の映画音楽ってすごいな、とそれに相当インスパイアされたんだな。

東郷 だって、「ライディーン」は後ろで馬が走ってるもんね。

高橋 ヒットで言えばYMOは「君に、胸キュン。」ですよ。歌謡曲のようなメロディーでやれば、俺たちにだってヒット曲作れるぞ、というつもりでやったんだから。嫌になっちゃうのは、今、若い子達の間では、YMOといえば「君に、胸キュン。」になっちゃってることだけど。

――歌ものだったということもあるでしょうね。ところで、小原さんが帰国されるのは、YMOも解散した後の88年、幸宏さんをはじめミカ・バンドのメンバーが参加したアルバム『PICARESQUE』を出した頃でしょうか。

小原 あのアルバム制作の時は、まだ帰っていなくて、ライブをやった時にミカ・バンドのメンバーがアンコールで出てきてくれて、じゃあアルバムでも作ろうか?となって、あの作品になったんです。それがミカ・バンドの再結成に繋がっていくんですが。

――そのアルバム『天晴』は、ボーカルに桐島かれんさんを迎えてのミカ・バンド再結成でしたが、幸宏さんと小原さんの色が強く出ているように思えました。

小原 あの頃はデジタルが全盛で、打ち込みの音楽をやっているので、ほとんどみんな一緒にプレイしていないんです。それぞれ1人でスタジオに行ったんです。あのあと、木村カエラと作ったミカ・バンドの時はバンドでやっているので、『天晴』だけサウンドが違う。それに、トノバン(加藤和彦)がすぐ旅行に行っちゃうから(笑)、僕と幸宏で最後の詰めをすることが多かったからね。

小原礼が語る高橋幸宏と林立夫
2人のドラマーの異なる魅力

ーー小原さんは、幸宏さんと林立夫さんという、2人のドラマーと長くプレイすることが多かったですが、2人のドラムの違いはどこにあると思われますか。

東郷 それは聞いてみたいね。96年の荒井由実コンサートの時、ゲストで出た幸宏が、打ち上げの席で「僕は昔から林くんのドラムに憧れていました」って、本人の目の前で話していたことがある。

高橋 僕が一番尊敬しているドラマーは林だって、幸宏は言っていたから。

小原 僕が感じる、ドラマーだった頃の幸宏は、すごくシャープで、攻撃的なドラマーだったんです。林は、パターンを考えてフレーズにするというか、例えば4小節のパターンを上手いこと考えてくれて、それが曲の一部となる、そういうドラマー。ジム・ケルトナーにちょっと近いな。彼もパターンを作って曲に向かうんだけど、林もそういうところがある。幸宏はガーッとくる、攻撃的なドラマーという印象です。

東郷 それってすごいな。両方やってるからわかることだし、2人ともまったく違うドラマーなんだね。

高橋 スネアのポイントとか、リズムのノリとかに違いはある?

小原 そこはあまり変わらない。後ろで乗るとか、早くならないとか。まだクリックがない時代は、バンドでやって盛り上がってくるとどんどん早くなる、というのは普通にあるとして、2人とも途中から走ったりはないです。遅くなったりもない。全員で前に行くのは2人ともある。2人ともすごいドラマーだと思うよ。

――幸宏さんのドラムでよく言われるのは、ジャストで手数が少ない、ということですが。

小原 そうそう。でも、昔はバリバリにオカズも叩いてたし、アグレッシヴなドラムでしたよ。

小林 そうなんだ、意外。

東郷 全然イメージが違ったな。

高橋 いや、僕も初めて聞いたよ。

小原 2人は全然違うタイプなんだよ。今はたまたまSKYEで林とずっとやっているけれど、レコーディングでは曲によってパターンを、手を替え品を替え出してくるよ。でも、2人とも違うからこそ面白い。幸宏はある時代からクリックと共存するようになって、すごくドラムがタイトになった。その前はクリックがなくてもガンガンくるの。ブッダズ・ナルシーシーもそうだったでしょ?

東郷 まあ、あのバンドは曲がそういうタイプだったからね。先日、たまたまラジオで思い出の曲をかけて欲しいって言われて、マイク・ブルームフィールド&アル・クーパーがやった「59番街橋の歌」をかけたんだけど、あのドラムはすごく派手なんだけど、幸宏は全部コピーしていた。音までこだわって叩いていた。『マジカル・ミステリー・ツアー』のリンゴ・スターのドラムも、スネアをひっくり返してこっちの方が近い、なんてやってたし、クリームのジンジャー・ベイカーもコピーしていたよ。

高橋 それは相当に派手だな。

東郷 デ・スーナーズのドラムにも感動してわざわざスネアを全部上げて叩いていたこともあった。

小原 デ・スーナーズはカッコよかったよね。よくMUGEN(赤坂にあったディスコ)に見に行っていたよ。

高橋 じゃあ、あいつのドラムはYMOの時代になって変わったんだな。

小原 そうだね。まず歌うっていうことから変わったのかもしれない。だから『Saravah!』の頃からそうなったのかな。クリックと共存して自分の居場所を見つけたというか。

詩人・高橋幸宏の魅力
「出来るだけいつものように」

――幸宏さんは初期の頃から、自身の作品をはじめ、BUZZの作品などで作詞をしています。BUZZ幸宏さんの作詞で東郷さんの作曲、という組み合わせが多かったようですが、幸宏さんの作詞について、信之さんはどう思われているのでしょうか。

高橋 この間、YT66(YUKIHIRO TAKAHASHI COLLECTION Everyday Life/2024年6月6日~9日・代官山ヒルサイドフォーラム/代官山ヒルサイドプラザ)というイベントをやったとき、幸宏の今まで書いた詞の中から10曲選んでくれ、という話があって。純粋にあいつが書いた詞は全部で125曲あったんです。それを整理して研究してわかったことは、幸宏の言ってることはずっと一緒なんだよ。幸宏が書きたい詞の世界は、いくつかのテーマがありつつ、いろんな形でそれを125通り作った、ということなんだね。15歳ぐらいから、あいつが書きたい詞、訴えたいことは決まっていて、それを大人になって、社会状況の変化につれ、散らばらせる背景が変わってはいったけれど。

小林 お兄さんから見て、幸宏さんが育ってきた中で、そういう作詞の趣向を感じ始めたことは、日常生活の中であったんですか。

高橋 鋭いことを聞くね(笑)。15歳か16歳の頃に、幸宏が「ノブさん(信之氏の愛称で、幸宏がそう呼び始めた) 、こういう詞はどうだろう」って言ってきたことはないんだよね。僕が書いた詞に感想はくれるけれど、何もないところで「こういうのってどう?」と自分から持ってくることはなかったな。こういうテーマで、こういうミュージシャンで、とこちらが持ちかけると、ヒュッと出てくるけど、自分から何もないのにいきなり出てきたということはなかったね。

小林 そういうものなんだ。

東郷 幸宏の詞には雨が多い。彼が感動した映画とか、たとえば『男と女』もそうだけど、雨のシチュエーションなんですよ。その辺も影響があるんじゃないかな。

高橋 影響という意味では中原中也。それに立原道造、堀辰雄の軽井沢物語だね。幸宏が15歳ぐらいの頃、軽井沢を中心とした抒情的な詩の世界に2人でのめり込んで、あいつは死ぬまでそうだった。

東郷 相手に対して「君のことが好きだから」という、直接的な言い方をしないんですよ。

小原 昔、よく言ってたけど、幸宏の詞は「キング・オブ・君と僕」だって(笑)。

東郷 あと、「そうかもしれない」「きっとそうだろう」そういう表現が多い。

高橋 軽井沢の3人がそうなんだよね。

小原 あとは、絶対こういうことを書きたくない、こういう言い方をしたくない、というのが幸宏の中にあるんだよね。はっきりとエールを送るとか、絶対にない。

東郷 幸宏は詞先がいい。最後に、僕がソロ・アルバムを出したとき、幸宏が「曲先にしたい」と言ったけど、結果「あまり良くないねえ」なんて言ってた。やっぱり幸宏は詞先がいいんだよね。

――そういう直接的な表現を避けるところは、ある種の東京人的な照れもあるのでしょうか。

小原 ちょっとハスに構えて見るような所ね。少しはあるかもしれない。

高橋 東京人の特徴ですよ。地方から出てきて「負けるもんか」と頑張っている人たちはがむしゃらで、「俺たちにあれはできない」という話はしょっちゅうしていた。僕たちは「負けてもいいじゃん」って平気で言っちゃうから(笑)。いや、心の底ではみんな負けるもんかと思っているけれど、それを出すのがカッコ悪いと思っているんです。「負けてもいいじゃん」と言うけど、内心は違っている。

東郷 ひねくれてるんですよ(笑)。幸宏は典型的で、何も考えてない、って言いながら実はすごく考えている。

小林 ああ、それすごく良くわかる。

高橋 ダイレクトに言葉にするのがカッコ悪いと思っているんだな。幸宏の書いてきた詞は、そういうものになっている。

小原 でも、1個ぐらいダイレクトなものを書いていたら面白かったかもね。

高橋 BUZZの74年に発表したアルバム『レクヰエム・ザ・シティ』の1曲目に「出来るだけいつものように」という曲が入っていて、幸宏が詞を書いているんだけど、結局あいつが何十年間と生きてきた中で、一番訴えたかったことは何かな、と思っていた。それで戻るのは「出来るだけいつものように」。つまり、EVERYDAY LIFE=日常生活。幸宏が一番憧れたのが、普通の生活みたいなことなんだよね。戦争があるってことは、いつもじゃないこと。「出来るだけいつものように」ができなくなることほど恐ろしいものはない。子どもの頃、朝早く起こされて、台所で背中を見せてトントンと包丁を使っておかずを作っている母親の姿、幸宏にとってはそれが日常の中の幸せ。あいつは「俺にとってはお袋だね」とよく言っていた。あんなにありがたくて懐かしい光景はないって。日常の中の幸せをあいつは一番求めていたんだよね。

小林 お母様を亡くして、『レクヰエム・ザ・シティ』を作った時で、お母様がいなくなってもいつものように生活を続けていきたいと思ったんでしょう。それが原点じゃないかな。

東郷 お母さんが亡くなった時に書いた『レクヰエム・ザ・シティ』の詞は、全部そこへ向かっている。「Bye Bye Party」も「今朝の手紙」も、お母様が亡くなった時の自分を書いているんだ。

小林 釣りを始めたのもそうなんですよね。自分の思いを釣りに向けて、精神の安定を図ったんでしょう。

高橋 都会で死んでいく魂への鎮魂歌と言っているけれど、幸宏自身はお袋のことを歌っているんだよ。

東郷 今、僕がやっているBUZZ NEXTで、幸宏が残した詞で、まだ形になってないのがあったんだよ。「あのビルとビルの間の雲が好きなんです」っていうような詞があって、それに曲をつけたけど、その詞の最後は「出来るだけいつものように」で締めくくっているんです。

信之 最初はあの言葉を入れるつもりはなかったけど、でもやっぱり入れたいと思った。幸宏への僕のオマージュだから。ミカ・バンドの時、イギリスでコンサートやって、YMOでは世界中で暴れ回って、それでもあいつがずっと言い続けたテーマは「出来るだけいつものように生きられたらどんなにいいだろう」ということ。でもお前、それはないものねだりだよ、と言いたいけれど、「出来るだけいつものように」という言葉は、幸宏の思いそのものだからね。

[取材協力]
『一億』
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電話:03-3405-9891
営業時間:昼11:30~14:00(ラストオーダー13:30)/夜17:00~23:00(ラストオーダー22:00)
定休日:日曜、祝日、年末、お盆休み、年始、他

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