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【江利チエミ企画】最晩年の江利チエミを聞く

時代を超え、令和に配信リリースされた戦後日本の音楽史に名を残す、伝説の女性シンガー・江利チエミ。
戦後の日本を歌とともに駆け抜け、軽やかに、強く時代を生きた彼女のキャリアの中で今回は晩年の10年間に光を当てる。
地域と風土をテーマとする文筆家・大石始が江利チエミ後年の音楽世界を辿る。

文:大石始

2026.2.12

2026年1月11日、江利チエミの楽曲が各配信サイトにて一挙配信された。その数、実に537曲。最初期のSP音源から最晩年の楽曲まで網羅されており、日本の歌謡史に燦然と輝くチエミの名曲群に誰もがアクセスできるようになった。ジャズやラテンを嬉々として乗りこなし、エキゾチックな世界各国の歌を歌い、アメリカのポピュラーミュージックに順応し、民謡や俗曲、ムード歌謡も歌う――。
チエミの音楽世界はあまりにも広大で、これまで若い世代のリスナーがその世界と出会う機会はかなり少なかったと言わざるを得ない。だが、今後はサブスク上で誰もが気軽にチエミの歌を楽しめるようになったわけで、これは実に喜ばしいことである。

SOUND FUJIでは江利チエミ入門に最適な記事やプレイリストが多数公開されているので、今回の配信を機にチエミのことを知ろうというリスナーは、それぞれの記事に目を通していただきたい。なかでも馬飼野元宏さんの記事「秘蔵写真と音楽で辿る江利チエミHistory」は必読だ。文中で紹介されている楽曲を聴きながら、この記事を読み進めていくのがチエミ入門には一番だろう。そのうえで、ここでは比較的見過ごされがちな晩年の10年間にあえて目を向け、その聴きどころを駆け足で紹介してみたい。

70年代の10年間、チエミの人生はまさに波瀾万丈そのものであった。1970年1月には夫・高倉健と住む自宅が火災で焼失。その後マネージャーを務めていた兄が急死すると、異父姉とのトラブルにより、巨額の借金を抱えることになる。1971年9月には高倉健との離婚を発表。1972年11月には日本航空351便ハイジャック事件に遭遇するなど、たった数年の間にさまざまな苦難が一気に押し寄せた。

ロサンゼルス録音のシングル「旅立つ朝」(1971年5月)がリリースされたのは、そうした最中のことだった。作曲は村井邦彦、アレンジはエルヴィス・プレスリーやサイモン&ガーファンクルなどを手がけたジミー・ハスケル、ドラマーは無数のセッションワークで知られるハル・ブレイン。チエミ流のソフトロックとも言えるこの曲は和モノDJの定番曲であり、小西康陽や珍盤亭娯楽師匠などこの曲をフェイバリットに上げるDJは多い。近年神野美伽のカヴァーも制作されており、MACKA-CHINが主宰するレーベル、雲見レコードから7インチとしてもリリースされている。なお、「旅立つ朝」のB面曲「明日に生きる女」もジミー・ハスケルのアレンジによるグルーヴィな仕上がりで、スケールの大きなこちらの歌唱も実に素晴らしい。


ジミー・ハスケルは1972年2月に発表されたシングル「雪山つむぎ」のB面曲「朝を待つ私(CITY OF THE BLIND)」のアレンジも手がけており、タイトルも含め、「旅立つ朝/明日に生きる女」の続編とも言える仕上がりになっている。1972年9月には同時代の欧米ポップスに取り組んだアルバム『チエミのニューポップス』がリリースされているが(ここではオズモンズ「Down By The Lazy River」のファンキーなカヴァーが聴きもの)、同時代のアメリカ産ポップスと並走するこうした試みがこの時期で途絶えてしまったのは何とも惜しいことである。

チエミにとって芸能活動の分岐点のひとつとなったのが、1973年4月に東京・新宿コマ劇場で上演された舞台『春香伝』だ。春香伝は18世紀の李氏朝鮮時代に書かれた韓国の説話で、芸妓である妓生の娘と貴族の息子という身分の異なる男女の愛をテーマとしている。妓生を演じることになったチエミは実際に韓国を訪れてリサーチを行ったほか、衣装となるチマチョゴリも現地で購入している。

のちにレコードとしてリリースされた実況録音盤『江利チエミ・ショウ~春香伝~』は前半で「テネシー・ワルツ」や「ドンパン節」などを披露し、後半は「春香伝」の舞台という二部構成になっている。舞台中、チエミは伝統楽器のカヤグムをみずから演奏してみせるなど大熱演。練習中から韓国語を熱心に勉強するなど、この舞台にかなり入れ込んでいたようだ。

この『江利チエミ・ショウ~春香伝~』も今回配信されている。戦後の日本を象徴するスターだった江利チエミが、プライベートでの紆余曲折を経たリスタートの舞台に、妓生を主人公とする朝鮮半島の古典を選んだこと。その意味を考えさせられる音源と言ってもいいだろう。なお、チエミは1962年作『チエミの子守唄』でも「韓国の子守唄」を歌っており、かねてから隣国・韓国の文化に対して関心があったことも窺える。

70年代中盤以降、チエミの発表する楽曲は演歌~ムード歌謡的なものが中心となっていく。きっかけとなったのは、久々のヒット曲となった「酒場にて」(1974年9月)だ。演歌的な節回しが強い印象を放つ楽曲だが、バックの演奏自体は案外グルーヴィー。のちに坂本冬美や氷川きよしにもカヴァーされた。

同年発表のアルバム『黒髪』はひさびさの民謡カヴァー集だが、当時のチエミの立ち位置を示すように、しっとりとした楽曲が多くを占めている。かつての名唱を思い起こさせる「奴さん」「八木節」はチエミのダイナミックな歌声が絶品だが、昭和30年代の諸作のように勢いで押しまくるのではなく、大人の余裕のようなものも滲ませている点に、チエミの成長と時代の変化を感じさせる。


この時期の音源としては、馬飼野元宏さんも「秘蔵写真と音楽で辿る江利チエミHistory」で触れているムーンライダーズとのコラボレーションも極めて重要だ。正式な音源としては世に出なかったものの、その一端は1977年ヴァージョンの「ウスクダラ」で垣間見ることができる。雪村いづみとティン・パン・アレーのコラボ作『スーパー・ジェネレイション』(1974年)のように、江利チエミとムーンライダーズの共演がアルバムとして実を結んでいたら……と悔やまれる1曲である。

70年代後半のシングル音源にさほど聴くべきものはないが、あえて言えば「バイバイ・ボーイ/私はピエロ」(1979年6月)。哀愁漂うボッサ歌謡「バイバイ・ボーイ」、ブルージーなディスコ歌謡「私はピエロ」には新たな可能性もいくらか垣間見えるものの、引きずるようなチエミの歌唱とのズレがどうも気になってしまう。なお、作曲を手がけたのは、のちにカルロス・トシキ&オメガトライブ「君は1000%」(1986年)および「アクアマリンのままでいて」(1988年)、ラ・ムー「愛は心の仕事です」(1988年)などの作曲を手がけた和泉常寛である。

最晩年の音源としては、やはり遺作となったジャズアルバム『NICE TO MEET YOU!』(1981年1月)をお聞きいただきたい。存在感のある歌声でしっとりと歌われるジャズナンバーの数々は、40代半ばを迎えたチエミならではの深い味わいを醸し出している。天性のリズム感、節回しの巧みさ、発語の美しさも堪能することができる傑作である。


ラストシングルは死の翌月に発表された「満ち潮/目の中の海」(1982年3月)。テレビドラマ「おれは亭主だ」の主題歌であり、作曲は森田公一。決して派手ではないが、丁寧な歌唱にチエミの誠実さも伝わってくる。「テネシー・ワルツ/カモナ・マイ・ハウス」(1952年)で始まり、「満ち潮/目の中の海」(1982年)で幕を下ろした30年間のディスコグラフィー。その多くがサブスク化され、気軽に聴くことができるようになったというのは、やはり凄いことである。時間をかけ、じっくりとお楽しみいただきたい。

■プロフィール

大石始(おおいしはじめ)
地域と風土をテーマにする文筆家。著書に『異界にふれる』『南洋のソングライン』『盆踊りの戦後史』『奥東京人に会いに行く』『ニッポンのマツリズム』『ニッポン大音頭時代』など。
NHK-FM「エイジアン・ミュージック・ニュー・ヴァイブズ」出演中。

ARTIST

  • 江利チエミ

    CHIEMI ERI

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