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峯田和伸×田口トモロヲ対談 ――伝説的なインディーズシーン“東京ロッカーズ”とは何だったのか?

70年代も終わろうとしている頃、リザード、フリクション、S-KEN、ミスター・カイト、ミラーズなど、パンク・ロックに影響を受けた東京のバンドが結集。彼らは「東京ロッカーズ」と呼ばれるムーヴメントを生み出した。そこで繰り広げられたドラマを、田口トモロヲ監督が『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』として映画化。原作は東京ロッカーズを至近距離で見ていた写真家の地引雄一の回顧録「ストリート・キングダム」だ。映画化にあたって、リザードをTOKAGE。フリクションを軋轢とするなど、固有名詞を微妙に変えながらも、可能な限り実話に基づいた物語になっている。そこで主人公のカメラマン、ユーイチを演じたのは峯田和伸。銀杏BOYZとしてバンド活動をしている峯田にとって、東京ロッカーズはインスピレーションを与えてくれる重要な存在だった。一方、80年代にガガーリンやばちかぶりといったバンドで活動した田口監督にとって、東京ロッカーズは重要なルーツ。そこで2人に世代を超えた視点で東京ロッカーズの魅力について語ってもらった。

文:村尾泰郎 / 対談写真:松永樹

2026.4.16

ーーまず、お2人と東京ロッカーズとの出会いを伺いたいのですが、77年生まれの峯田さんはどのように東京ロッカーズの音楽と出会ったのでしょうか。

峯田:東京でバンドを結成してから、友達やバンド・メンバーと一緒にレコード屋さんに通ったんですよ。そこで〈東京のパンクってどういう流れなんだろう〉と興味を持つようになりました。それでいろいろ調べているうちに中古レコードでフリクションを見つけ、そこからリザードや東京ロッカーズを知りました。

ーー当時、フリクションを聴いてどう思われました?

峯田:カッコよかったですね。古さはまったく感じなかった。ファースト・アルバムの『軋轢』(80年)を聴いて、ナンバーガールのドラムの音と同じだと思ったんです。だから〈ナンバーガールってフリクションを参考にしたのかな?〉と思ったりしました。僕はそういう事を考えるのが好きで、自分の作品のレコーディングの時に、買ったレコードを参考にしたりするんです。だから、東京ロッカーズのレコードも研究材料として買っていたところもありましたね。

ーーレコードを通じて自分の作品に東京ロッカーズからの影響を取り入れていたんですね。田口監督はリアルタイムで聴かれていました?

田口「『東京ROCKERS』(79年)がリリースされた時に聴いて衝撃を受けたんです。それまで『No New York』(78年)というニューヨークのパンク・バンドを集めたアルバムが好きでよく聴いていたんですけど、〈日本でも同じようなムーヴメントが生まれたのか!〉って驚きました」

ーー『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』を観て改めて感じたのは、東京ロッカーズのバンドがそれぞれ独自のサウンドを持っていることです。

田口:東京ロッカーズやその周辺にいたバンドは、〈今こういう音が流行っているからそんな感じにしてみよう〉なんてことは一切しなかったんです。みんな自分らしい音を求めていて、〈俺たちはこうする!〉っていうそれぞれの個性が炸裂していた。そこが面白いところなので、映画でも各バンドの個性をしっかり見せようと思っていました。

峯田:東京ロッカーズって、ロンドンやニューヨークで生まれたパンクとは全然違うんですよね。ほんと、東京のパンク。ほかの街のパンクとの違いを言葉で説明するのは難しいけど、〈なんだこれ!?〉って感じ(笑)。それって、バンドのルーツがバラバラだっていうのもあるかもしれないですね。リザードはもともと紅蜥蜴というバンド名でモモヨさんが高校の頃に結成して、ドアーズとかグレイトフル・デッドとかサイケなバンドの流れをくんだ音だったけどパンクの影響で変わっていった。フリクションはニューヨークで音楽活動していたレックさんとチコ・ヒゲさんが東京に戻ってきて結成。ミラーズとミスター・カイトは吉祥寺や高円寺のロック・シーンにいた。いろんなルーツを持ったバンドが出会って、東京ロッカーズっていうムーヴメントを作り上げたところが面白いなって思います。

リザード@福岡(1979.5.2)

ーーそれぞれパンクの影響を受けながら解釈の仕方が全然違いますね。セックス・ピストルズラモーンズをそのままなぞったようなバンドはいない。

峯田:今だったらネットで〈こういう音楽がカッコいい!〉っていう情報が広まったら、みんなその特徴を取り入れて同じような音になってしまうと思うんですよ。でも、当時は情報が少なかったから、それぞれが独自に解釈できる隙間が多かった。だから、あの時代の東京にしか鳴らない音が生まれたんだと思います。関西のバンドも独自の音を鳴らしていたじゃないですか。

ーーそうですね。INUやAunt Sallyといった関西のインディー・バンドも独特でした。そんな風に、個性的なバンドがひしめき合っていた当時のインディー・シーンの空気が映画から伝わって来ます。ライヴ・シーンが多いのも本作の特徴ですが、映画で描かれるライヴハウスの風景は現在と違う。そこも興味深いところです。


フリクション@S-KENst(1978.8.6)

田口:東京ロッカーズのバンドを観に来る観客って意外と静かなんですよ。そんなにワイワイ騒いだりしなくて、メジャーなロック・バンドを観に来る観客と様子が違っていた。どこか知的というか。映画でも描いていますが、椅子に座って本を読んでる人がいたりするんです。

峯田:タバコを吸いながらバンドを観てたり、今のライヴハウスではなかなか見られない光景。それって、観客とバンドの目線が対等な感じがするんですよ。だから、バンドが「もっと盛り上がろうぜ!」って観客を煽ったり、バンドが観客に手を叩かせたりするようなノリではないんです。

新宿ACB 客席(1980.6.14)

田口:バンドと観客が軽い対決姿勢なんですよ。バンド側は「俺たちの表現はこうだけど、それをお前たちはどう感じるんだ?」って観客に問いかけるようなところがある。それでいて演奏はワイルド。今のライヴハウスとは雰囲気が違っていて、そこは映画でしっかり描きたいと思っていました。

————今となってはライヴハウスというとロック・バンドのイメージが強いですが、東京ロッカーズが登場した頃、ロック・バンドが演奏できるライヴハウスはなかったそうですね。

田口:そうみたいですね。新宿LOFTも最初はニュー・ミュージックとかフォークのアーティストが中心でした。ライヴハウス側は「パンク・バンドは暴れて大変らしい」という先入観があって、東京ロッカーズのバンドはなかなかライヴハウスに出してもらえなかったみたい。だから、最初に新宿LOFTに出た時は、自分たちでお金を出して新宿LOFTを借り切ったそうです。

————その後、東京ロッカーズが注目を集めることでライヴハウスはロック・バンドを受け入れるようになり、それがインディー・シーンが生まれるきっかけになったんですね。

峯田:この映画の台本を読んだ時、初めて地元・山形市のライヴハウスに行った時のことを思い出したんです。山形市には一軒しかライヴハウスがないんですけど、僕が行ったのはノイズ・バンドのライヴで、真っ暗の中で消火器を噴射したり、パイプ椅子が飛んできたり(笑)。

田口:それが初めてのライヴハウス体験? すごいね(笑)。

峯田:90年代だったので東京ロッカーズの頃に比べるとゆるい雰囲気はあったけど、変な人がいっぱいいて、めちゃくちゃ怖いライヴだったんです。

ーー映画ではスターリンの伝説の全裸ライヴの様子も描かれていますが、今回、若葉竜也さんや間宮祥太朗さん、仲野太賀さんなど、多彩な俳優がライヴ・シーンを演じているのも見どころのひとつです。

田口:観客にはオリジナル音源を聴いて欲しかったので歌は吹き替えにしていますが、バンドを演じた俳優たちには曲が演奏できるまでスタジオで練習してもらいました。そして、ライヴ・シーンでは観客の前で実際に演奏しているんです。

ーーちゃんと演奏しているからこそライヴの熱気が伝わってくるんですね。峯田さんは現場でライヴ・シーンを観て、どんな感想を持ちました?

峯田:撮影に入る前、ライヴ・シーンを見たら「自分だったら、こんな風に歌うな」とか、いろいろ考えるかもしれないと思っていたんですけど意外とそれはなかったですね。それって、どのバンドもちゃんとバンドになっていたからだと思います。若葉くんのTOKAGEはリザードを意識しながらもリザードとは違うカッコいいバンドになっていた。間宮くんの軋轢もそうでした。セットで作った京大西部講堂、その暗がりの中で演奏する軋轢を見て〈当時のフリクションって、こんな感じだったんだろうな〉って思ったんです。映画の撮影を通じて、あの時代のフリクションのライヴが追体験できたような気がしました。

田口:映画で描かれた短い期間の間に、フリクションはギタリストが変わるんですよ。ラピスさんから恒松(正敏)さんに。だから映画でもギタリストを変えようかと思っていたんですけど、そうすると観客が混乱すると思って最終的にギタリストは1人にしたんです。でも、できれば2人のギタリストの特徴を入れた演奏にしてもらえたら嬉しいな、と思ってギタリストを演じたタカハシシンノスケさんにお願いしたんです。

峯田:2人のギタリストをハイブリッドした!? すごい(笑)

ーー映画を見た原作者の地引雄一さんが驚いていました。「映画の前半ではラピスの弾き方。後半は恒松になっていた」って。

田口:今回、改めて俳優はすごいって思いましたね。最初、東京ロッカーズの役はミュージシャンに演じてもらうという案もあったんですけど、俳優はモデルになったミュージシャンに寄せながら、自分なりの表現ができる。それってすごいことですね。

峯田:本当に、みんなカッコよかったですよ。TOKAGEの演奏を観てても、〈歌を吹き替えなくてもこれでいけるんじゃない?〉と思いました。

ーーリザードのモモヨをモデルにしたモモを演じた若葉さんはミュージシャンの色気を漂わせていましたね。田口さんは当時、リザードのライヴはご覧になっていたんですか?

田口:東京ロッカーズ時代は観ていないんですよ。でも、それ以降のライヴは観ています。その頃はパンク・シーンのトップランナーを止めて、非ロック的というか内省的なサウンドを探求していましたね。セックス・ピストルズが解散した後、ジョニー・ロットンがジョン・ライドンに名前を変えてパブリック・イメージ・リミテッドを結成して、新しい音を探求していったのと近いものを感じました。リザードは他のどのバンドよりも速い速度でどんどん変化していたんです。

ーー峯田さんはリザードのどんなところに惹かれますか?

峯田:ポップさですね。1回聴いて憶えられるメロディー。特にファーストの『LIZARD』(79年)、セカンドの『BABYLON ROCKERS』(80年)の頃のリザードはすごくポップなんですよ。その後、トモロヲさんが言ったようにだんだん内省的になっていくんですけど。あと、ファーストでいきなりロンドンでレコーディングして、ストラングラーズのジャン=ジャック・バーネルにプロデュースを依頼するというのもすごいですよ。フリクションはファーストの『軋轢』(80年)で坂本龍一にプロデュースを頼んでるし、この2バンドは東京ロッカーズのなかで飛び抜けている気がします。

リザード – リザード(1979.11.21)

リザード – 邪都戦士<バビロン・ロッカー>(1980.9.21)

田口: リザードはモモヨさんが書く歌詞も素晴らしくて、ポップで文学的なんです。社会的なことを題材にしていながらも、ちゃんと地に足が着いている。音楽性がバラバラだった東京ロッカーズに共通しているのは、日本語で歌ったということだと思います。それまでは、海外から来たロックを英語でカッコ良く歌うのが日本のロックの基準だった。でも、東京ロッカーズは日本語でパンクを歌った。それはすごく大きなことだったと思いますね。

ーーINUやAunt Sallyも日本語の歌詞でしたね。70年代にははっぴいえんどを巡って日本語でロックを歌うことに対する論争がありましたが、パンク・バンドはみんな日本語を選んだ。そこには、自分たちの日常を自分たちの言葉で表現したい、という思いがあったんでしょうね。

田口:それまでの日本のロックってファンタジーっぽいところがあったんですよ。どこか海外の文化に憧れているような。でも、パンクは日常についての歌なのでリアルじゃないとダメなんです。ロックに乗りにくい日本語。当時はカッコ悪いと思われていた日本語をどうやってロックに乗せるか?という勝負を、日本のパンク・バンドはしていたんじゃないかと思います。

峯田:あと、日本語には独特の節回しがあるんですよ。例えば4ビートのロックに日本語を乗せた場合、日本語の節の影響で4拍子が5拍子に近くなったりする。土着のリズムが入って、ちょっとズレてくるんですけど、それが面白い。英語の歌詞を乗せたら、当然英語のリズムになってしまうから海外のロックと変わらない。でも、日本語をのせることで日本にしかできないものができるから、ダサいと言われても日本語でやってみようと思ったんじゃないでしょうか。ロンドンやニューヨークのパンクとは違うけど、これはこれで良いんじゃない?って。パンクに限らずファンクもそうで、じゃがたらは日本独自のグルーヴを意識していたと思います。

ーーじゃがたらの江戸アケミさんは「自分の踊り」ということをよく言われていましたね。今回、峯田さんはモモヨをモデルにしたモモ役の若葉竜也さんとリザードの「宣戦布告」をカヴァーして、それが映画のエンディング曲に使用されています。この曲を選ばれたのはどうしてだったのでしょう。

田口:いろいろと候補はあったんですけど、物語の中心になっているのがリザードをモデルにしたTOKAGEだということと、歌詞が物語のテーマにぴったりだったからです。当時、こういうパンキッシュでポップな曲があったことを観客に知ってもらいたかったし、映画では聞けない若葉くんの歌声や、歌っていない峯田くんの歌声が聞きたいという個人的なわがままもありました。でも、僕だけじゃなく観客も、最後に若葉くんと峯田くんの歌声が聞けたら嬉しいと思うんですよ。

ーー最高のサプライズですね。若葉さんは初めてのレコーディングでしたが、バンド経験がある監督や峯田さんからはどんなアドバイスをされたのでしょうか。

田口:最初、「僕で良いんですか!?」って、ちょっと不安そうではありましたけど、パンクって技術を競う音楽じゃないし、モモの気持ちで歌ってくれればいいからって説得したら、「わかりました!」ってすごく前向きに取り組んでくれました。

峯田:レコーディングは一発で終わったし、直しも入れてません。大友(良英)さんのバンドが演奏してくれたんですけど、その音を聞くだけで自然と声が出ました。若葉くんの歌も最高でしたね。

ーー峯田さんは同じヴォーカリストとしてモモヨさんの歌をどう思われますか?

峯田:独特ですよね。すごく通る声で、ヴォーカリストとしてすごいと思います。どうやっても、あんな風には歌えない。なんて言ったらいいんだろう、あの感じ……。

田口:トリックスターだよね。

峯田:確かにそうですね!

田口:モモヨさんはパンクに出会ってから、曲のコンセプトに合わせて声音をいろいろ使うようになった。そういうところがトリックスターっぽくて面白いというか。今回、改めてリザードを聴き直してみて、僕も峯田くんがいうように「こんなにポップだったんだ!」ってびっくりしたんです。

モモヨ紅蜥蜴@福生ChickenShack(1978.3.25)

ーーシンセの音色もポップですよね。ニュー・ウェイヴ的なモダンさがあって。

田口:フリクションってデビューした時からスタイルが出来上がっていたと思うんですよ。それに対してリザードはアルバムを出すごとに成長していった気がしますね。

ーー田口監督は映画に登場したバンドのなかでじゃがたらから大きな影響を受けたそうですね。どんなところに惹かれたのでしょうか。

田口:まず、アケミさんのルックスに驚いたんです。渋谷の山手教会でやったオールナイトのイベントに行ったら、じゃがたらが出てたんです。じゃがたらのことを全然知らなかったから、アケミさんが出てきた時、近所のオッサンが酔っ払ってステージに上がったのかと思ったんですよ(笑)。とてもじゃないけどロック・バンドのヴォーカリストには見えなかった。そのオッサンが「日本人て暗いね」って喋り出したんです。酒を飲んでクダを巻いているのかと思ったら、だんだんリズミカルになってきて、歌っていることがわかってきた。でも、途中で演奏を中止させられたんです。音が近所迷惑だからって。そしたらアケミさんが「これから代々木公園で演奏するから見たいやつはついてこい!」って観客に声をかけて、僕もついて行ったんです。

ーーすっかりアケミさんの虜に(笑)

田口:年末か正月か、とにかく寒い時期だったんですけど、公園でアケミさんはどんどん服を脱いで歌いながら「自分の踊り」を見せるんです。全然カッコよくない踊りなんですけど、その場にいたらカッコよく見えるんですよ。これまでのロックンローラーのカッコよさとは全く違う魅力があって、〈新しいムーヴメントが始まったんだな〉って実感したんです。

江戸アケミ

ーーじゃがたらを通じてロックに対する価値観が大きく変わった?

田口:そうですね。自分と同じ地平にいる等身大の人が何か新しいことをやろうとしている。その衝撃と感動をじゃがたらから感じたんです。パンクが生まれるまで、そんなこと考えられなかったんですよ。ロックというのはヴォーカルのルックスが良くて、技術を持った人が楽器を演奏するもんだと思っていました。でも、パンクがステージと観客の間にあった垣根を壊して平地にした。ライヴを見にきていたお客さんが、次の日にはステージに立っている。そんなことが普通にあった夢のような時代なんです。

ーースターリンはどんな風に見ていました?

田口「(遠藤)ミチロウさんは、あっという間にパンクの大スターになって、カルチャー誌で錚々たる文化人と対談していました。僕からしたら仰ぎ見るような存在でしたね。ミチロウさんは過激なライヴで話題になりましたが、すごく知的な人なんですよ。全裸ライヴをやった時も、抗議する主催者側と議論して最後には相手を説得してしまった。文化人と議論できるパンクのミュージシャンが出て来た、ということも驚きでした。

遠藤ミチロウ+ザ・スターリン@新宿ロフト (1981.5.21)

ーーパンクは日本のロック・シーンを大きく変えた。その瞬間が映画に描かれていますが、お2人はパンクからどんな影響を受けました?

田口:パンクは「自分が好きなことをやっていい」と教えてくれたムーヴメントでした。だから、パンクに出会ったことですごく解放されたんです。楽器が弾けなくても、何の技術を持っていなくても自分が好きなようにやればいい。技術は後から身につければいい。だから音楽に限らず、パンクと出会ったことで何かを始めた人は多かったと思います。

ーー映画の主人公のユーイチもそうですね。最初はカメラマンとして東京ロッカーズを撮影していましたが、彼らと関わるようになるなかで自分なりのパンクを考えるようになり、自主レーベルを立ちあげます。バンドをやるだけがパンクじゃない。

田口:僕自身、パンクに出会って漫画を描き始めたんです。そして、バンドをやったり、演劇をしたり、いろいろやるなかで映画を撮るようになった。今こうしているのはパンクと出会ったおかげ。僕にとってパンクは単なる音楽のジャンルではなくて自由な精神なんです。

峯田:僕もパンクは自由ってことだと思うんですよ。選ばれた人だけが、お金がかかった大きなステージに立つというのではなく、そのへんにいる兄ちゃんが着の身着のままでステージに立って言いたいことが言える。たとえ歌が下手でも臆することなく、自分の歌い方で自分を解放できる。こんなに自分を解放できるものって他にはないと思います。東京ロッカーズは、そういうことを最初にやった人たちだと思います。最初にやった人たちの音楽って説得力が全然違うんですよ。パンクに限らずラップもそうですけど、最初にやった人たちって、すごくわかりやすい形でその音楽が持つ力を表現している。彼らは最初にして最高なんです。

————インディーズという言葉が普通に使われるようになった今だからこそ、それを最初に生み出したバンドことを知るのは重要なのかもしれませんね。

峯田:東京ロッカーズの音楽に触れてからは、自分はどんな風にロックをやっていくのかを考えたり、ロックに対して意識的になりました。東京ロッカーズのすごさっていうのは、今だからなおさらよくわかるし、彼らがいたからこそ銀杏BOYZのライヴができるんだなって思います。

田口:まずは彼らの音楽を聴いてほしいですね。映画を観て、こういう人たちがいたことを知ってほしい。そのあとは好きになろうが嫌いになろうが映画を観た人の自由。東京ロッカーズのことを知らない若い人たちが、この映画を観て、音楽を聴いてどんな風に感じるのか、その感想を聞くのがすごく楽しみです。


Tokyo Rockers Moments By Yuichi Jibiki

 

リザード@渋谷駅前ゲリラライブ(1980.10.18)

フリクション@新宿LOFT DRIVEto80’s(1979.8.29)

ゼルダ@新宿ロフト(1980.8.6)

ミラーズ@下北ロフト(1978.12.31)

ミスター・カイト

S-KEN@S-KENst.(1978.8.27)

東京ロッカーズ関西ツアー@京都磔磔(1978.10.5)

モモヨ&フリクション@S-KENスタジオ(1978.8.13)

地引雄一@新宿LOFT(1982.9.29) 

ARTIST

  • リザード

    LIZARD

  • 遠藤ミチロウ

    MICHIRO ENDO

  • S-KEN

    S-KEN

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