COLUMN
COLUMN
海外で熱視線を浴びる70年代の名盤 藤丸バンド『BGM』クロス・レヴュー【岡村詩野 澤部渡(スカート) 柴崎祐二 高橋芳朗 みのミュージック DJ MURO】
SOUND FUJI 編集部
2025.6.21
48年前の今日、AORやフュージョン、クロスオーバー、ブラジル音楽といった音楽的要素を内包し、ポップスとしても円熟した魅力を放つ作品『BGM』がリリースされた。
『木綿のハンカチーフ』や『天城越え』など数々の名曲のギターを担当し、70~80年代にはSHOGUNやAB’Sで国内外のヒットを生み出した芳野藤丸をリーダーとする藤丸バンドが残した唯一のアルバムが『BGM』である。
知る人ぞ知る一枚として静かに時を重ねていたこの作品が今、2025年に時代を超えて海外を中心にストリーミングの再生数が拡大し、多くのリスナーの支持を得ている。そんなロマン溢れる70年代の名盤『BGM』の本質に迫るクロス・レヴュー。
岡村詩野、澤部渡(スカート)、柴崎祐二、高橋芳朗、みのミュージック、DJ MURO の6名が作品の魅力を紐解く。
|岡村詩野|澤部渡(スカート)|柴崎祐二|高橋芳朗|みのミュージック|DJ MURO|
岡村詩野
藤丸バンドといえば西城秀樹である。芳野藤丸が西城秀樹のバック・バンドのギタリストを務めていたのは70年代中盤のこと。その頃の西城は「ちぎれた愛」「激しい恋」といったヒット曲を連発していて、とりわけ作詞/安井かずみ、作曲/馬飼野康二のコンビで作られた情熱的な曲が歌い手としての彼の個性を見事に結実させていた。そのパッション溢れる演奏に大きく影響していたのが芳野なのはいうまでもなく、当時海外ロック・バンドに夢中だった西城がその腕前に惚れ込んで自ら芳野に声をかけたというエピソードも頷ける相性の良さをこの時代の西城のエナジェティックな作品で発揮されていくのである。この藤丸バンドの『BGM』はその頃に作られた作品だが、果たして自虐的なのか、美学の現れなのか…と思えるタイトルにも現れた心地よいサウンドは、確かに昨今のシティ・ポップス・ブームや和モノ再定義の中核に置かれて然るべきだろう。滑らかなギター・フレーズは確かに当時のソフト・フュージョンの領域で、あのジョージ・ベンソンを思い出させるし、清涼感ある鍵盤の音色とのハーモニックな響きも実に洒脱だ。だが、その心地よくブリージンなサウンドの背後に、気骨あるブルーズ・ロック嗜好が垣間見えるのを見逃してはならない。特にメランコリックなリフにクリーム時代のエリック・クラプトンを見るようなインストの「Paper Machine」、シカゴやブラッド・スウェット&ティアーズを彷彿とさせるブラス・ロック調の「I Know It’s Gonna Last」などは、芳野が60年代のアメリカでロック・ミュージックのホットな進化の洗礼を受けていた事実を反映させているように思う。西城秀樹が芳野のプレイにガッツ溢れる、ブルージーな音楽の素養を感じ取ったのは全く素晴らしい審美眼だが、本作にもそうした片鱗が間違いなく現れていることを改めて本作で実感できるはずだ。
プロフィール
おかむら・しの
東京都出身。音楽評論家。『TURN』(turntokyo.com)編集長。京都精華大学、昭和音楽大学非常勤講師。FM京都(アルファ・ステーション)『Imaginary Line』パーソナリティなどなど。
澤部渡(スカート)
まず、正直に話してしまうと、私は藤丸さんの関連作を熱心に追っているようなファンではありません。
気まぐれにソロやAB’sを楽しんできたライトもライトなリスナーだったので、藤丸バンドの『BGM』も今回初めて聴きました。一聴して1977年的、あらゆる意味で1977年的な作品、だと感じました。それは狭間の音楽、ということなのかもしれません。クロスオーヴァーとフュージョンの狭間だったり、ポップスと歌謡曲の狭間だったり、ロックとAORの狭間だったり、バンドとユニットの狭間だったり、あらゆる狭間にある音楽のように映ります。たとえば、メロウなタッチで聴かせる曲の中にも、歌謡が匂い立つ瞬間があるし、歌謡的なムードの曲の中にも、得体の知れない何かがひそんでいるように感じる瞬間がいくつもありました。
個人的にグッときたのは”雑踏の中で”。フェンダーローズの音色も最高ですが、ギターとユニゾンするコーラスが心地よく、甘く装飾されるために配置されたかのように聴こえたストリングスがキメのフレーズを力強く弾くあの瞬間がたまりません。「こんな日には誰でもふさいでしまうけれど」という歌い出しがなんとも言えない予感を差し込む”雨の昼下がり”もお気に入りです。フェイザーの向こうにフェード・アウトしていくアウトロもカッコいいです。”I Know It’s Gonna Last”はアレンジ、演奏、コーラスワーク、どれをとっても最高。この曲からはあまり「狭間」っぽさは感じられないかもしれません。
腕利のミュージシャンたちが集まり、自らの技術を誇示するのではなく、あくまで「歌」を中心にすえたアルバムとして傑作と言えると思います。
プロフィール
どこか影を持ちながらも清涼感のあるソングライティングとバンドアンサンブルで職業・性別・年齢を問わず評判を集める不健康ポップバンド。
2006年、澤部渡のソロプロジェクトとして多重録音によるレコーディングを中心に活動を開始。2010年、自身のレーベル、カチュカ・サウンズを立ち上げ、1stアルバム『エス・オー・エス』をリリースした事により活動を本格化。
2021年4月にアニメ「オッドタクシー」オープニングテーマ「ODDTAXI」をPUNPEEとコラボで担当。豊富なお笑いの知識から、2023年9月には25歳以下限定のお笑い賞レース『UNDER 25 OWARAI CHAMPIONSHIP』決勝戦の審査員を担当、大会主題歌「期待と予感」も書き下ろした。
その他も数々のアニメーション作品、映画、ドラマの劇伴、楽曲制作に携わる。
また、そのソングライティングセンスからこれまで藤井隆、Kaede(Negicco)、三浦透子、adieu(上白石萌歌)などへの楽曲提供も行っている。更にマルチプレイヤーとして澤部自身も敬愛するスピッツや川本真琴、ムーンライダーズらのライヴやレコーディングに参加するなど、多彩な才能、ジャンルレスに注目が集まる素敵なシンガーソングライターであり、バンドである。
柴崎祐二
シティポップのブームを通過した今、当時を振り返ってみてよく思うのは、どうもあの喧騒の中では、きらびやかな都市の表象だとか、ウキウキするようなリゾート感覚、あるいはまた、時にぎょっとしてしまうほどにアップリフティングな快楽性のようなものばかりにフォーカスが絞られるきらいがあり、それの裏返しとして、同時代のレコードの中に確かに漂っていたはずのほろ苦いダンディズムだとか、円熟の香りみたいなものが、必要以上に捨象されてしまっていたのではないか、ということなのだ。時代の趨勢というのは常に暴力的なものだ。ダンディズムだとか「男たちの円熟味」などというものが、いかにも反動的な何かに(本当はそう単純化出来るはずはないにもかかわらず)感じられてしまう今の時代では、それらはなおのこと分が悪い。
藤丸バンドの傑作『BGM』は、シティポップとして大きく括られ(る可能性のある)レコードの中で、まさしく、そうしたダンディズムや円熟のありようを、最もはっきりと体現している一枚だろう。AORやフュージョン、ブラジル音楽の美麗なサウンドを換骨奪胎した当時最高クラスの作品であるという事実以上に、ここで肝要なのは、芳野自身の歌声やメロディー、バンドの抑制的な演奏に宿っている湿り気、もっとハッキリいえば、「歌謡」的なエッセンス〜匂であろう。なぜゆえに彼が、後にSHOGUNとして戯画的なダンディズムの化身というべき「工藤ちゃん」のためのサウンドトラックを提供したのかといえば、他でもない彼=芳野自身の音楽センスの中に、フィリップ・マーロウ風の都会的なニヒリズムと、その裏返しとしての「やさしき」ダンディズムが蔵されていたからに他ならないように思う。
そう―――。ここでいう「やさしさ」とは、かつて栗原彬が、その類稀な青年論の中で美文をもって描き出してみせたような、消費社会の中で「こうありたい自分」と「こうである自分」の間で演じられる気怠いモラトリアムを通過した後の青年にだけ宿る、あの「やさしさ」のことだ。吹きすさぶ風の音の中、こちらを振り返り、苦味をしまい込みながら、「変わらない俺でいてみせるよ」などと嘯きながらやさしく笑ってみせる。そういう類の「やさしさ」だ。
その上で今改めて思うのは、こういう、円熟しつつも強い芯を残した「やさしさ」のダンディズムを胸に秘めた青年たちは、一体どこへ言ってしまったのだろうか、ということだ。お世辞にも「爽やか」とはいい難い青年たちが一つのテーブルを囲み、ハニカミ顔を並べるジャケットをしみじみと眺めながら、元青年の私はそんなことを考えてしまうし、考えないわけにはいかないのである。
白壁に貼られた『ミズーリ・ブレイク』のポスターの中から、マーロン・ブランドとジャック・ニコルソンの目が、2025年の俺たちを、キッと見据えているぜ。「お前たちは、こいつら(藤丸バンドの面々)のように、いい顔をしているかい?」と――。
プロフィール
柴崎祐二(しばさきゆうじ)
1983年、埼玉県生まれ。評論家/音楽ディレクター。2006年よりレコード業界にてプロモーションや制作に携わり、多くのアーティストのA&Rを務める。単著に『ポップミュージックはリバイバルをくりかえす 「再文脈化」の音楽受容史』(イースト・プレス 2023年)、『ミュージック・ゴーズ・オン~最新音楽生活考』(ミュージック・マガジン、2021年)、編著書に『シティポップとは何か』(河出書房新社、2022年)等がある。
高橋芳朗
近年のシティポップのリバイバルを通して、数々の楽曲が海外のアーティストやリスナーによって「再発見」されてきたことはご存じの通り。
思いもよらなかった曲が脚光を浴びるたびにその意外な視点に唸り、まさかこんなところに着目してこようとは、と新鮮な驚きを覚える機会も少なくなかったが、それら一連の事象に比べると今回の藤丸バンドのケースはちょっと状況が異なってくる。彼らの唯一のアルバム『BGM』がここにきて世界的に注目を集めていることについては、むしろ「ついに」「ようやく」などの言葉をもって歓迎するのがふさわしい。
もともと洋楽志向が強く、実際にイギリスのチャートでランクインを果たした実績を誇るAB’Sの成功を踏まえても、芳野藤丸の偉大なキャリアの出発点である初のリーダー作が「海を越える」ことは時間の問題だっただろう。とはいえ、彼の地においては従来より国内で人気だった楽曲――哀愁のメロウボッサ「ハイウェイ」、爽快な正統派シティポップ「雑踏の中で」、のちのSHOGUNを予見するドゥービー・ブラザーズ調のファンキーロック「I Know It’s Gonna Last」等――ではなく、CTI作品の影響をうかがわせるフュージョンタッチの「Paper Machine」が突出して高く評価されているあたり、大変興味深いものがある。今後、このクリアなエレピの音色が美しい神秘的なインストゥルメンタルは、きっとコルテックスの「Prelude a Go Round」などと同じような感覚で親しまれ、スタンダード化していくことになるのではないだろうか。
そして、同曲がマッドリブやアースギャングにサンプリングされて新しく生まれ変わったように、思いがけないかたちで「Paper Machine」と「再会」できる日がやってくるかもしれない――いまの時代、そんな展開も絵空事ではないのだ。
プロフィール
高橋芳朗/Yoshiaki Takahashi
東京都出身。音楽ジャーナリスト/ラジオパーソナリティー/選曲家。著書は『マーベル・シネマティック・ユニバース音楽考~映画から聴こえるポップミュージックの意味』『新しい出会いなんて期待できないんだから、誰かの恋観てリハビリするしかない~愛と教養のラブコメ映画講座』『ディス・イズ・アメリカ~「トランプ時代」のポップミュージック』『KING OF STAGE~ライムスターのライブ哲学』『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門』『生活が踊る歌~TBSラジオ「ジェーン・スー生活は踊る」音楽コラム傑作選』など。TBSラジオでの出演/選曲は『ジェーン・スー 生活は踊る』『金曜ボイスログ』『アフター6ジャンクション2』など。Eテレ『星野源のおんがくこうろん』ではパペット「ヨシかいせついん」として出演。
みのミュージック
芳野藤丸率いる藤丸バンドの唯一作『BGM』(1977)は、「シティポップ的」として再評価された都市型ポップスの一例でありながら、そのジャンル文法には収まりきらない多層的な魅力を湛えている。
清涼感あるAOR的アンサンブルのなかに、ふと顔を覗かせるのは、当時なお色濃く残っていたブルースやハードロックのギター語法だ。ブリティッシュ・ロックを経由してクロスオーバーを志向したという意味で、前年リリースのCharの1stアルバムと通底する質感がある。ジェフ・ベックを筆頭に、当時のギタリストたちの多くがこうしたスタイル変遷を経験していたとはいえ、その演奏感覚が“シティポップ的文脈”のなかで結実している例は、実はそう多くない。
そうした中で本作は、ジャンルの輪郭がまだ曖昧だった時代の空気感を一枚に封じ込めた、特異な存在と言えるだろう。バンドの身体性をそのまま都市的ポップスに接続しているという点で、芳野のギターはもちろん、ウエスト・ロード・ブルース・バンド出身の中島正雄によるキーボードプレイも見逃せない。
そこに漂う無骨さは、編成そのものの出自に根ざしたものでもある。土臭くも艶のあるギターと、ムーディーで湿り気のある歌唱が重なり、演奏者の肉体感覚と都市的洗練が、絶妙に調和する—そんな一枚だ。
プロフィール
みの
音楽評論家・ミュージシャン・動画クリエイターとして活躍。音楽解説が中心のYouTubeチャンネル「みのミュージック」は登録者数約50万人。ソロプロジェクト〈ミノタウロス〉名義でも作品を発表。著書『戦いの音楽史』『にほんのうた』など執筆活動を行い、6月9日に新刊『みののミュージック』を刊行予定。ラジオDJやイベント主催、レコード文化の普及にも取り組むなど、多彩な形で音楽の魅力を発信している。
DJ MURO
現在も現役で活躍されている素晴らしいギタリストでもある芳野藤丸さんが、70年代に組まれていたリーダー・グループ「藤丸バンド」のワン&オンリーの名盤「BGM」が、再評価されているという事で興奮しております!僕も90年代に新宿のえとせとらレコードで入手してから、ずっと大事にしているアルバム・レコードの1枚です。
本作に収録されている中では、インストナンバー「Paper machine」をはじめ、藤丸さんのボーカルが堪能できる「ハイウェイ」や「雑踏の中で」は今でも現場でよくプレイしていて、海外のレコード友達やDJからもウォントが絶えない名盤です。このアルバムをきっかけに、藤丸さんのソロ作品はもちろん、SHOGUNや西城秀樹さん、AB’sや、つのだひろさん、桑名正博さんなどの参加作品も是非チェックして頂けたら、より藤丸さんの音楽の魅力が感じられると思います!
アナログの再プレスもお待ちしております!
MURO
プロフィール
日本が世界に誇るKing Of Diggin’ことMURO。「世界一のDigger」としてプロ デュース/DJでの活動の幅をアンダーグラウンドからメジャーまで、そしてワールドワイドに広げていく。現在もレーベルオフィシャルMIXを数多くリリースし、国内外において絶大な支持を得ている。DJ NORIとの7インチオンリーでのD Jユニット” CAPTAIN VINYL“含めて、多岐に渡るフィールドで最もその動向が注目されているアーティストである。
毎週水曜日21:00〜 TOKYO FM MURO presents「KING OF DIGGIN’」の中で、毎週新たなMIXを披露している。
番組HP https://www.tfm.co.jp/kod/
収録曲
SIDE A
1. High way*
2. Zatto no nakade**
3. Kanashimi no hodou**
4. Hishochi no dekigoto*
5. Ame to hirusagari**
6. Hi no ataru michi++
SIDE B
1. Can’t We Start It All Over Again+
2. Paper Machine
3. Don’t Ever Say Good-Bye To The Sun
4. I Know It’s Gonna Last
5. Theme
クレジット
FUJIMARU BAND
FUJIMARU YOSHINO(Electric Guitar, Folk Guitar, Vocal & Chorus)
MASAO NAKAJIMA(All Keyboards)
KAZUYOSHI WATANABE(Electric Bass)
JUNICHI KANAZAWA(Drums & All Percussions)
Words by
YOSHIKO MIURA *
KAZUKO KATAGIRI **
ANN LEWIS +
HAJIME ICHINOMIYA ++
FUJIMARU YOSHINO
Produced by FUJIMARU BAND
Recording, Remixing & Mastering Engineer, MASAAKI SAITO
Assistant Engineer, FUMIO OZAWA
Directed by KENICHI MATSUSHITA
Co-directer, MINORU MASUDA
Album Photographs by YUSUKE KANOU & YOJI KOBAYASHI
Album design by JUNICHI KANAZAWA