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SOUND FUJI×柴崎祐二『Unpacking the Past vol.2』“J-Folk rock” インタビューpart2 ゲスト:曽我部恵一
第二回目のテーマは"J-Folk rock"
60年代後半から70年代に黎明期を迎えた日本のフォーク。
当時の若者たちの間でムーブメントを巻き起こしたフォークは、次第にロック・シーンと融合し、
ニューミュージックという新たなジャンルを生むきっかけとなる。
邦楽を語る上で極めて重要な同時代の作品に関して、筆頭的存在であるベルウッド・レコードの音源を中心に、日本のフォーク/ロックにまつわるインタビューを実施。
文・構成:柴崎祐二 / 写真:松永樹 / 協力:渋谷B.Y.G
2024.12.4
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特別なオーラを放っているレコード
――高田渡さんの作品はいかがですか?
曽我部:もちろん大好きです。(1971年にキング・レコードからリリースされたアルバム『ごあいさつ』を手に取りながら)しかし、改めてこうして眺めてみると、このジャケットなんて本当にオシャレ。渡さんは、存在そのものがシャレていますよね。
――ともすると「朴訥なフォーク・シンガー」というイメージで語られがちですけど、音楽のセンスを含めて、とてもヒップで都会的ですよね。ライ・クーダーとかランディ・ニューマンのような洗練味を感じます。
曽我部:わかります。モダンなんですよね。
――曲も歌詞も自作のものは決して多くないんだけど、現代詩と伝統的なフォーク・ソングの組み合わせ方や乗せ方、再構築の仕方がとても洒脱で。
曽我部:そういう意味では、僕はまだまだ渡さんの音楽の魅力を完全には理解できていないのかも、と思ったりもします。『ごあいさつ』、『系図』(1972年)、『石』(1973年)という三枚は、いまだ簡単には理解が及ばない文学/音楽作品というか、自分にとって特別なオーラを放っているレコードですね。
――詩を曲に当てはめる時の譜割りもそうだし、歌とギターのリズム感も抜群だと感じます。
曽我部:そうそう。こんなにちゃんと「曲」として完成されているというのがすごい。一方で、「コーヒー・ブルース」とか「自転車に乗って」みたいに、ふと自分の日常を歌ったような曲もあって。そういう部分にも惹かれます。
強い信念を持って人前で歌っていた
――ちなみに、初期の高石ともやさんとか岡林信康さんとか、ああいった関西フォークの源流にあたる方たちの音楽も昔から聴いていましたか?
曽我部:一応は聴いていました。言ってみれば、あちらの方が本来的な意味での「日本のフォーク」じゃないですか。そこからすると、ある時期以降の渡さんとか加川良さんの歌っていうのは、直接的にプロテストしているわけじゃないですし、フォークの流れの支流にあたると言えばそうなのかもしれない。けれど、僕にはそっちの方がグッときたんです。
あ、そうそう、以前に加川さんと共演させてもらったとき、僕、怒られたことがあるんですよ。怒られたというか、気持ちの良い関西弁で注意されて(笑)。
――どんなことを注意されたんですか?
曽我部:共演したのが銭湯の中で歌うライブだったんですけど、打ち上げの時に、加川さんに「お前、座って歌うなや〜」って言われて。「年取ってヨボヨボになったヤツがステージに出てきてよっこらしょって座ったらそら芸になるやろけど、まだ足腰立つ丈夫なヤツが座って歌っても芸にならん。元気なうちは立って歌えや」って。
あと、譜面台で歌詞を見ながら歌ってたら、それも注意されました。「歌詞見んなや」って。フォークの人で座りながら歌詞を見て歌う人もいるじゃないですか。あれも一つのスタイルだなと思っていたので僕も真似したつもりだったんですが(笑)。「自分の歌なんやから、もし歌詞忘れたらその場で作ってまえばええねん」とも言ってました(笑)。
――加川さんがそう言うと説得力がありますね(笑)。
曽我部:要するに、どういうスタイルを取るにせよ、「俺はこうなんだ」っていう気持ちがしっかりあるかどうかなんだと思います。僕は今日は新曲をやるからちょっと歌詞みて歌おうかなっていうくらいの気持ちだったけど、あの当時から活動を続けてきた皆さんはきっとそんなことなくて、強い信念を持って人前で歌っていたんだなと思います。
――その加川良さんは、ベルウッドに『アウト・オブ・マインド』(1974年)という名盤を残しています。
曽我部:最高の一枚ですね。URC時代の各作も素晴らしいけど、これもすごい。後のハックルバックの面々とか、中川イサトさんとか、バックのミュージシャンの演奏もとてもいい。これは是非みんなに聴いてほしいなあ。このあたりは今ならかなり手頃な価格で中古盤が手に入ると思いますし。海外のレコード好きに見つかってしまったら一気に買えなくなっちゃうはずなので。今だけだと思います。
――中古盤の値段と音楽の価値は本来全く関係のないものですからね。
曽我部:本当にそうです。
本来の意味での「等身大の歌」
――関西フォーク繋がりでいうと、西岡恭蔵さんやディランⅡの諸作はいかがですか?
曽我部:素晴らしいですよねえ。特に恭蔵さんの『ディランにて』(1972年)が好きですね。恭蔵さんの歌詞って、なんというか天然色の映画みたいなんですよ。でもボーカルとかギターの演奏はモノトーン。そのコントラストがすごく素敵。「サーカスにはピエロが」なんて、見たことのない世界に連れて行ってくれるような歌詞で。本当にイマジネイティヴ。だからこそ矢沢永吉さんが後に恭蔵さんの歌詞を歌うようになったんだろうなと思いますし。もしかしたら、ボブ・ディランの『ジョン・ウェズリー・ハーディング』(1968年)の歌詞の世界を日本語に置き換えたらこういう風に響くんじゃないかなと思ったりもします。
――細野さんのプロデュースでサウンドがガラッと変わった次作『街行き村行き』(1974年)も傑作ですね。
曽我部:あれもいいですねえ。『HOSONO HOUSE』との連続性を感じさせるアルバムですよね。
――ジェイムス・テイラーやカントリー・ロックの色合いが濃くて。一方で、細野流プロダクションをまとっていても、全体がその色に染め上げられているわけではないというのも興味深いところです。
曽我部:わかります。例えば、細野さんが関わった小坂忠さんの初期ソロ曲だと、一心同体なんじゃないかっていうくらいピタッとハマっていて、それも素晴らしいんですけど、恭蔵さんのこのアルバムはちょっと違いますね。恭蔵さんの場合は、あくまで自身の歌声と曲の個性が前面に出ている感じがします。
――インタビュー前半でも話に出た2017年のベルウッド45周年記念コンサートに曽我部さんが出演された際には、いとうたかおさんの名曲「あしたはきっと」もカバーしていましたよね。
曽我部:はい。「あしたはきっと」が収録されているファースト・アルバム『いとうたかお』(1974年)は本当に名盤ですね。あんまり好きな語彙じゃないんだけど、「等身大」って言葉があるじゃないですか。「あしたはきっと」は、本来の意味での「等身大の歌」だと思います。村上律さん、岡田徹さん、林立夫さん、伊藤銀次さん等、バック・メンバーの演奏もいいし、特に注目なのが「スタイリスト:中川五郎」っていうクレジット。このジャケット写真のいとうさん、スタイリングされてるんだ!っていう(笑)。しかも、by五郎さんっていう二重の驚き(笑)。
――ディキシーランド・ジャズ風の「水を一杯」をはじめ、エリック・アンダーソンとかジョニ・ミッチェル的な洗練されたハーモニーが聴ける「位置を変えて」等、このアルバムも全体的に洒脱です。
曽我部:ホントに。インディー・フォーク系の若いミュージシャンを聴いているような人もきっとハマると思います。ベルウッドのフォーク系のカタログの中で、今の感覚に一番近いのがこれかもしれない。
簡単に触ると火傷してしまいそう
――決してポップなサウンドとは言い難いと思ますが、山平和彦さんの一連作も、未聴の方はこの機会に是非聴いてもらいたいですね。
曽我部:僕も、『放送禁止歌』(1972年)を聴いた時ときのインパクトは忘れられないです。どちらかといえばURCのアンダーグラウンドな流れを感じさせる人ですよね。
――今注目すべきポイントとしては、自身のルーツである秋田の伝統的な要素とコンテンポラリーなフォークのスタイルを融合させている点が挙げられると思っています。
曽我部:そうですね。
――この時代のフォーク・シーンで、ドメスティックな音楽のアイデンティティとはいかなるものかという問いに最も自覚的に取り組んでいた一人が山平さんだったんじゃないかと思っていて。
曽我部:たしかに。このジャケットを含めて、簡単に触ると火傷をしてしまいそうなオーラを放っていますよね。このあとフィリップスに行って出した『星の灯台』(1975年)も素晴らしくて、この人にしかない宇宙がある気がします。
東北つながりでいうと、友川カズキさんの『桜の国の散る中を』(1980年)も大好きだし、三上寛さんの『負ける時もあるだろう』(1978年)もいいアルバムですね。お二人はわりとアンダーグラウンドなフォークの極北みたいに捉えられていると思うんですが、海外の人と話していると、そのあたり日本のリスナーと近い感覚で聴いている人もいたりして、面白いなあと思いますね。
――今挙げられた二枚のように、ベルウッドは1970年代後半以降のカタログにも素晴らしい作品が沢山あります。
曽我部:そうそう。その時代のベルウッド発の作品だと、やっぱりエンケンさんの『東京ワッショイ』(1979年)。これも心の神棚に飾っている一枚です。
ニュー・ミュージックの主流との架け橋
――今回デジタル配信が解禁された後期ベルウッドのタイトルの中でいうと、佐藤GWAN博さんの『青空』(1976年)が、シティ・ポップ的な聴き方もできるという意味で特に注目作かもしれません。
曽我部:そうですね。全体のラインナップからしたらちょっと毛色の違うアレンジですけど、是非聴いてみてほしいですね。これに関しては中古レコードもかなり高いから、是非再発してほしいなあ。
――こないだ再発されたピラニア軍団の『ピラニア軍団』(1977年)も好評らしいですし、坂本龍一さんのアレンジ繋がりで、是非こちらもリイシューしてほしいですね。マイケル・フランクスの作品におけるクラウス・オガーマンのような、洗練の極みといえる編曲。
曽我部:そうそう。このアルバムの坂本さんのアレンジ、本当に絶妙なんですよね。一方で、「たんぽぽのお酒」のように、GWANさん本来のフォーク路線の曲も素晴らしいです。
――反対に、後追い世代からは若干見落とされているような気がするという意味でいうと、ベルウッド発足のきっかけを作った重要アーティストである小室等さんのソロ・アルバム『私は月には行かないだろう』(1971年)、『東京』(1973年)、六文銭のアルバム『キングサーモンのいる島』(1972年)あたりにも是非光が当たってほしいなと思います。
曽我部:本当ですね。今聴くとすごくいいんだよなあ。沁みますよ。
――アメリカン・ロック志向とかルーツ探求的な姿勢とはやや異質の美学を感じます。モダン・フォーク由来の端正さと歌謡性のようなものが上手く溶け合っている気がして。
曽我部:そうですね。後のフォーライフ・レコードに繋がっていくことからも分かる通り、ニュー・ミュージックの主流との架け橋になっているように聴こえます。音の緻密さということで言えば、もしかするとベルウッドの中でも随一クラスかもしれませんね。
個人のことを歌うことが、世界のことを歌うこと
――URCの元ディレクターである岩井宏さんの『30才』(1973年)も、「本来の意味での等身大」を強く感じさせるアルバムです。ギターとバンジョーだけのシンプルな音ですけど、その分すぐそこで歌っているような親密さがあって。
曽我部:赤ちゃんを抱えたこのジャケットもとてもいいですよね。前半に話したことともつながってきますけど、自分の生活も歌と一緒に表現に昇華していくって、今でこそ当たり前のようになっているけれど、当時はすごく新鮮なことだったと思うんですよ。
――みなさん飄々と歌っているように見えて、そこにはある種のボヘミアニズムへの切迫した思いがあったんだろうなと思います。そこが「単にほっこりした日常を歌っている」こととの大きな違いだと思っていて。その辺りを意識した上で聴くと、余計魅力的に感じるんです。
曽我部:本当ですね。
――よく誤解されますけど、だからといって社会的な意識から逃避しているとか、完全に個の世界に閉じこもってしまっているかと言えば、決してそんなことはないと思うんですよ。
曽我部:その通りですね。個人のことを歌うことが、そのまま世界のことを歌うことなんだと教えてくれていますよね。エンケンさんも「個人を歌うことこそが全てなんだ」といつも言っていました。
――そういう視点は、他でもない曽我部さんの音楽からも強く感じます。すごく個人的で親密な歌を通じて、社会の姿が見えてくるというか。だからこそ、近年リリースされている音頭モノのように、鋭い批判精神が反映された曲もスッと入ってくるような気がしていて。
曽我部:いやあ、僕は皆さんの影響を受けながらやってるだけですけどね。この時代のレコードを聴くと、未だに教えられることが沢山ありますよ。「歌って、やっぱりこういうことだよなあ」って。
――背景には、1970年前後の「政治の季節」にまつわる様々な思いが渦巻いていたんだろうなとも思います。その後の時代の流れの中で消費社会の中に埋没してしまうわけだけれど、当時の歌い手たちが「個人」への回帰にどういったカウンター的な意味を見出していたのかを考えることは、今こそ重要なんじゃないかなと思っていて。
曽我部:集会でシングアウトするのとも違うし、個人のメッセージこそが歌なんだという姿勢。みんながシュプレヒコールを挙げている中で、「いや、俺はギターを持って一人で歌うよ」ということですもんね。そこには皆さんきっと強い自負があったでしょうね。
――その上で忘れてはいけないのは、URCにしてもベルウッドにしても、当時にあってはあくまで非主流、「オルタナティブ」であったということだと思います。
曽我部:今でこそこのあたりの系譜の存在が目立ってはいるけど、ほんの一部の水面下で起こっていたことですからね。立て続けにチャートを席巻したわけでもない。けれど、こうやってずっと輝き続けているし、かえって今になって輝きが増しているとも思います。
眼の前の景色と結びついてしまうことの奇跡
――それと、「空気を震わせたその音を録る」という録音芸術の原点に関わる視点からも、ベルウッドのサウンドにはやはり特別なものが宿っている気がします。
曽我部:おっしゃるとおりですね。生音の録り方もそうだし、コンプのかけ方も、ようやく自分たち思い描いていた音を作れるようになったという喜びを感じるというか。結局は今のレコーディングの現場でも、この時代のドラムとか楽器の音が指針になっていますしね。マイク、卓、録音環境の持つ響きという部分で、きっと一番いい瞬間が70年代前半だったんじゃないかなと思います。
――並み居るスタジオ作はもちろん、「春一番」や「ホーボーズ・コンサート」のライブ盤を含めて、なんというか、「あの時あの瞬間、たしかにこの音が鳴っていた」という実感が、グワッと身体に迫ってくる感覚があります。
曽我部:そう。それが現在の自分の眼の前の景色と結びついてしまうことの奇跡ですよね。『HOSONO HOUSE』なんて、その最もたるものだと思います。当時のミュージシャンが抱いていたであろう心象風景が、時間と距離を超えて共有されてしまうって、改めて考えてみてもやっぱりすごいことだと思います。
――今回のストリーミング解禁をきっかけにベルウッドのカタログに触れるリスナーも数多いと思うんですが、是非そういう感動を味わってほしいですね。
曽我部:はい。僕らの世代はレコードという形で触れましたが、それが配信だったとしても何か価値が目減りするっていうことはないと思うんです。たまたま出会ったときがその作品を聴く一番いいタイミングだと思うし、フィジカルじゃなかったら作品の魅力が落ちるのかといったらそんなことは一切ない。だから、自分の環境で思い思いにじっくり聴いてもらえればなと思います。なにせ、僕が『風街ろまん』を聴いて一番心に響いたのは、彼女が運転する軽自動車の安いカーステでしたから(笑)。
PLAY LIST
曽我部恵一セレクト 日本のフォーク・ロックの世界を堪能する”ベルウッド・レコード”
https://UPTPKeiichiSokabe.lnk.to/knIB9SyP
1.それはぼくぢゃないよ/大瀧詠一(『大瀧詠一』収録)
2.大道芸人/あがた森魚(『乙女の儚夢』収録)
3.とめ子ちゃん/ごまのはえ(『春一番コンサート・ライブ!』収録)
4.塀の上で/はちみつぱい(『センチメンタル通り』収録)
5.紫陽花/南正人(『南正人ファースト』収録)
6.プカプカ/西岡恭蔵(『ディランにて』収録)
7.犬/友川かずき(『桜の国の散る中を』収録)
8.負ける時もあるだろう/三上寛(『負ける時もあるだろう』収録)
9.僕の倖せ/はちみつぱい(『センチメンタル通り』収録)
10.東京ワッショイ/遠藤賢司(『東京ワッショイ』収録)
11.踊ろよベイビー/遠藤賢司(『春一番ライブ’74』収録)
12.あしたはきっと/いとうたかお(『いとうたかお』収録)
13.鎮痛剤/高田渡(『系図』収録)
14.恋は桃色/細野晴臣(『HOSONO HOUSE』収録)
15.氷雨月のスケッチ/はっぴいえんど(『HAPPY END』収録
■プロフィール
曽我部恵一 そかべけいいち
1971年8月26日生まれ。乙女座、AB型。香川県出身。 ’90年代初頭よりサニーデイ・サービスのヴォーカリスト/ギタリストとして活動を始める。 1995年に1stアルバム『若者たち』を発表。’70年代の日本のフォーク/ロックを’90年代のスタイルで解釈・再構築したまったく新しいサウンドは、聴く者に強烈な印象をあたえた。 2001年のクリスマス、NY同時多発テロに触発され制作されたシングル「ギター」でソロデビュー。 2004年、自主レーベルROSE RECORDSを設立し、インディペンデント/DIYを基軸とした活動を開始する。 以後、サニーデイ・サービス/ソロと並行し、プロデュース・楽曲提供・映画音楽・CM音楽・執筆・俳優など、形態にとらわれない表現を続ける。
http://www.sokabekeiichi.com
柴崎祐二(しばさきゆうじ)
1983年、埼玉県生まれ。評論家/音楽ディレクター。2006年よりレコード業界にてプロモーションや制作に携わり、多くのアーティストのA&Rを務める。単著に『ポップミュージックはリバイバルをくりかえす 「最文脈化」の音楽受容史』(イースト・プレス 2023年)、『ミュージック・ゴーズ・オン~最新音楽生活考』(ミュージック・マガジン、2021年)、編著書に『シティポップとは何か』(河出書房新社、2022年)等がある。
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