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「土着と深淵」の螺旋――70年代キングレコード サイケデリック・アンダーグラウンドへの探訪
日本語ロックの歴史的傑作とも称される『切狂言』
布施明ヴォーカルでジャズロック/プログレが繰り広げられ、
海外コレクターからも絶大な支持を集める『LOVE WILL MAKE A BETTER YOU』
1970年代後半にブームとなった東映俳優クルーたちの魂の叫びを、
坂本龍一と佐藤準が多彩なアレンジで彩った和製レアグルーヴの名盤『ピラニア軍団』
日本の70年代音楽史に残るアヴァンギャルドな3作品を、レコード店「Meditations」のスタッフ/バイヤーでありながら、『ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド』の著者でもある門脇綱生が徹底レビュー。
文・構成/門脇綱生
2025.1.23
切狂言 – クニ河内とかれのともだち(1970)
クニ河内(くにかわち/本名:河内邦夫)は、1940年福岡県出身、かに座のシンガーソングライター、作曲家、編曲家、鍵盤奏者。
日本のニュー・ロックのレジェンドとして名を馳せつつ布施明や西城秀樹、タモリなど数々の著名アーティストへの楽曲提供も行っている。タイガース作品のアルバム・プロデュースや同バンドのツアー帯同、深夜バラエティ~音楽~こども向け番組などを始めとした数々のテレビ番組への出演、幼児向け番組向けの歌の創作、カルト的な企画ものグループ「羅生門」による邦楽史上稀に見るコンセプト・アルバムの珍盤『日本国憲法』での作編曲に至るまで、長きに渡るキャリアを通じて、マルチで傑出した活動を展開してきた人物だ。
ロックからポップス、フォーク、サイケ、童謡まで横断して、数々の名曲を手掛けてきた彼の膨大なカタログはまさに和物レアグルーヴの宝庫でもあり、音楽マニアには、佐井好子の名作『密航』やカルメン・マキ、安井かずみといった面々の編曲、天井桟敷や東京キッドブラザースなどの舞台音楽もよく知られている。
ちなみに、新六文銭やトランザムなどで活躍した作曲家のチト河内は実の弟である。(細野が関わったこの人のニューエイジ作品にも注目。)
1964年、24歳の時にチト河内らとロック・バンド「サンライズ」を結成。66年には、ミッキー・カーチスの目に留まり上京。67年に、サンライズを前身から発展する形で、ギターのいない稀有なGSバンド「ザ・ハプニングス・フォー」を結成。同年にシングル「あなたが欲しい」(ジャケットデザインは横尾忠則!)でデビューを果たす。
この頃から、クニ河内自身がオリジナルの日本語曲の作詞作曲を手掛けていたが、メンバー自身が作詞の大部分を行っていた例は当時珍しかったことに加え、その海外指向の高さから、日本のロックの海外進出を夢見ていた内田裕也に見出され、同バンドとクニ河内は、伝説的ライブ・アルバム『ロックンロール・ジャム ’70』(’70)の仲間入りを果たしている。
5枚のアルバムを残したザ・ハプニングス・フォーはGSが衰退した後の72年に解散し、クニはソロ活動を展開。72年の唯一のソロ・シングル作品「透明人間」では、ヤマハ主催の日本歌謡祭にて作曲家グランプリを受賞した。
さて、本項で紹介する『切狂言』は、1970年にキングレコードから発売された。ジュリアン・コープの邦楽アングラ大偏重な音楽本『ジャップ・ロック・サンプラー』(’07/邦訳は’08)でも紹介され、巻末に掲載されているジャップロック・ベスト・アルバム50選では、25位にランクインしているなど、海外でも人気の高い作品だ。
本作での名義は「クニ河内とかれのともだち」となっている。そして、その「ともだち」とは、内田裕也のもとで海外進出を企図し、全面英語詞のロック・サウンドを掲げた『エニウェア』を発表した直後の「フラワー・トラヴェリン・バンド」のメンバーたちである(!)そのヴォーカルであるジョー山中やギタリストの石間秀樹に加え、ハプニングス・フォーのベーシストのペペ・ヨシヒロと、弟のチト河内が参加したセッション・アルバム。
日本のロックがGSからニューロックへと移り変わっていく過渡期である70年という節目に発表された本作にて、ジョー山中は日本語での歌唱を披露しているだけでなく、翌年のFTBの金字塔的名盤『Satori』への影響も恐らく多大であるということが窺える事から、「実質日本語で歌うFTB」という評価まで飛び交った歴史的名作だ。また、同じく70年発表のはっぴいえんど『ゆでめん』と共に日本語ロックの先駆的作品とされている。
71年9月にはFTBとアメリカのバンド、ジョー・ママとのスプリットにて、本作収録の「人間主体の経営と工事」が「MAP」と改題されてカヴァーされているが、こちらはFTBにとって唯一となる日本語楽曲という重要なタイトルでもある。
作編曲作詞をクニ河内が担当。同時代の英米の最新のサイケデリックと比しても尖端を行っていた彼らのサウンドは、陰惨かつアシッドでありつつも「若者の人生観」やクニ河内の「個人的な女性観」といったプライヴェートで親密なテーマに根ざしており、緻密な構築美とアレジメント、サウンディングに裏打ちされた素晴らしい仕上がり。ジ・アウトロウズやザ・ビーバーズのメンバーでもあった石間のラーガ奏法を多用した、情念が激しく渦巻きつつも鋭く、高速で畳み掛けるようなギターと、ジョー山中による土着的で呪詛に満ちたハイトーンのリゼルギーな叫び、どことなくスピリチュアル・ジャズ的な美意識と気品を感じさせるクニ河内のオルガン&ピアノを軸に毒々しく展開されていく、アノマリーな魅力と混沌の祝祭というべきアシッド/ブルース・ロックの傑作である。
本作は、その入手困難度の高さから幾度もブートレグ再発盤が出回っているが、2021年に待望の公式アナログ再発が行われ、昨年12月にサブスク配信が行われた。
ちなみにザ・ハプニングス・フォーは01年に再結成。03年にはジョー山中と石間秀機、森園勝敏という編成で本作の再現ライブも敢行されている。
LOVE WILL MAKE A BETTER YOU – Love Live Life+One(1971)
ジャズやニューロックといった当時のシーンの垣根を越えた豪華な面々からなる、メンバーの流動的なセッション・グループであり、当時の日本としても数少ないプログレッシヴ・サイケデリック・バンド「Love Live Life(LLL)」(Love Live Life +One)。「ニューハード」の一員でもあったジャズ・サックス奏者の市原宏祐(sax/flute)を中核に、「ブッダ+ロック」という異形のお経サイケ・ロックを提唱実践したカルト・グループ「People」や「アウトキャスト」などへの参加も知られる「日本のフランク・ザッパ」こと水谷公生(Gt)、「ザ・パプニングス・フォー」のクニ河内の弟であるチト河内(Dr)、「フード・ブレイン」や「ストロベリー・パス」、「エイプリル・フール(ザ・フローラル)」などでの活躍も目覚しいキーボード奏者の柳田ヒロ(Pf)、元シャープス&フラッツの直居隆雄(Gt)といったミュージシャンが参加した事で知られている。また、「+One」とは、当時既に紅白出演も果たしていた人気歌手の布施明のことである。本項で紹介する1stアルバムである『Love Will Make A Better You』では、所属事務所との契約の都合などから「+One」というクレジットとなった。
海賊盤リイシューが出回るなど、海外を中心に絶大な人気を誇るこのアルバムは、キングレコードが70年代初頭に企画し、先鋭的なジャズ・ミュージシャンを多く輩出した〈ニュー・エモーショナル・シリーズ/New Emotional Work Series〉(NEWS)より、ニューロックが開花し始めていた71年に発表。同シリーズからは、和グルーヴの宝庫である村岡実『Bamboo』や横田年昭とビート・ジェネレーション『フルート・アドヴェンチュアー』、クニ河内とかれのともだち『切狂言』といった金字塔の数々がリリースされている。
市原がブラスの指揮やアレンジを担当。若き日の布施明がリード・ヴォーカルを取った本作は、フリー・インプロヴィゼーションを中心とした卓越的なアンサンブルによって繰り広げられるセッション・アルバムの逸品であり、ジュリアン・コープ『ジャプロック・サンプラー』のランキングでも第6位という極めて高い評価を得ている。その極めて先鋭的かつトランス的でさえあるジャズ・ロック/アシッド・ファンク的なサウンドによって、当時の日本のみならず時代の最前衛を突っ走っていた本作は、KING CRIMSON『太陽と戦慄』(’73)やFUNKADELIC『Maggot Brain』(’71)、COLOSSEUM『LIVE』(’71)などの歴史的名作にも引けを取らない、もしくは、先を行っているとまで評されている70年代の邦楽史上最大級の名盤だ。しかし、その実験性の高さ故に、布施明ファンからは長らく避けられてきた「踏み絵」ともされる作品である。
しかし、その世界観はまさに唯一無二であると言えよう。常に絶頂。ジェームズ・ブラウンやスライ・ストーンを彷彿とさせるほどに強烈なエネルギーとカタルシスを伴った布施のファンキーなヴォーカルとシャウト(英語の発音があまり上手くないことによって寧ろ独特のエグさを醸している)と子気味よく刻まれる直居と水谷によるアシッドかつハイスピードなツイン・ギター、宇宙音楽の域にも達した、柳田のコズミックなハモンド・オルガンが奏でるサイケデリアの洪水、河内の野性的でフリーキーなパーカッションと日本人離れしたグルーヴなどのコンビネーションを軸に、ハードで狂気じみたアンサンブルが展開されていく。メジャー・レーベルに残されたセッション作品としてあまりにも冒険的すぎる内容であり、まさに日本の実験的なロックの到達点の一つといえるキングレコードを代表する傑作。
ちなみに、ジャップ・ロックの名作である柳田の参加したストロベリー・パスの『大烏が地球にやってきた日』は、本作と同年に発表されており、ニューロックの入門盤として併せて聴いておきたい。
ピラニア軍団 – ピラニア軍団(1977)
「ピラニア軍団」は、1960年代後半の東映京都撮影所製作のヤクザ映画や時代劇などで主に斬られ役、やられ役、悪役、敵役、モブといった脇役/アウトサイダーを演じて番組を支えてきた、大部屋俳優のうち、酒癖が悪く普段なかなか忘年会や飲み会に呼んで貰えなかった、川谷拓三・志賀勝らを中心として、自然と群れをなし始めた「はみ出し者の集い」の通称である。その歩みは、掲示板に飲み友を募集したことから始まった。車両に引きずられ、銃で蜂の巣にされ、画面の外側の方で、誰にも気付かれない間に刺されている…そんなはぐれたヤクザ役ばかりの俳優たちが、「じゃあ俺たちだけで忘年会をやろう」と集まったこの飲み会は、「いつか主役を食うように」と夢見た志賀によって「ピラニア会」と名付けられた。
出演のギャラも直ぐに酒などに浪費し、中島監督の家に上がっては勝手に飲み食いしたり、交番が半壊するほど大暴れしたり、ブチギレると本物のヤクザ相手に平気で喧嘩を売る、プライヴェートでも任侠と変わらないような、粗暴かつ粗野、しかしながら、破天荒で個性的な面々が集っていた。そして何より、彼らは「役者」という仕事を心から愛し、酒の席で最も熱く話したのは「芝居」のことであったという。そして、1975年には、プロデューサーの中島貞夫と渡瀬恒彦を発起人として、大阪市の御堂会館で「ピラニア軍団」が正式に結成されることとなった。
1975年10月から放送された日本テレビ系ドラマの『前略おふくろ様』に川谷拓三と室田日出男が出演した事から他メンバーも注目を浴びるようになり、それぞれ76年の『暴走パニック 大激突』や『狂った野獣』へのメンバーの出演を契機として、軍団のブームの全盛期が訪れた。翌77年には、メンバー総出となった映画の『ピラニア軍団 ダボシャツの天』が公開されたのである。
ピークには、最終的には約20名規模という会員数を誇ったが、映画界の当時の斜陽などもあり、ピラニア軍団ブームは沈静化。また、元々バイプレイヤーとしての孤独で孤高な奮闘に魅力を感じていた俳優たちが、それぞれ知名度を高め過ぎていたことなどから生まれた諸々の軋轢によって、1980年代には自然消滅という形で解散した。
邦画史を彩った印象的な個性派脇役たち。本項で紹介するのは、全盛期にあった彼らが、独自の「怨歌」の音楽世界で知られる、青森県北津軽郡小泊村(現・中泊町)出身の名フォーク・シンガーこと三上寛と中島貞夫によるプロデュースのもとで1977年4月に発売したセルフタイトルLP『ピラニア軍団』だ。YMOデビュー以前の若かりし頃の坂本龍一、村上”ポンタ”秀一、かしぶち哲郎、後藤次利、斎藤ノブ、佐藤準、芳野藤丸といった、その後も長きにわたって邦楽ポップスを牽引していくこととなる極めて豪華な面々が結集し、軍団の様々なメンバーと共に作り上げた、和メロウ・グルーヴ史上に刻まれる傑作だ。
この頃、三上は役者としても活動していた。そして、ピラニア軍団の面々とも『実録外伝 大阪電撃作戦』(’76)にボクサー役として出演するなど幾度も共演している。当時まだ20代半ばであった三上は、軍団の渡瀬恒彦と飲んだ際に彼らの音楽制作のアイデアを聞かされたという。そして、何本もの作品で世話になっていたことのお返しの気持ちも込めて、本作の〈キング/ベルウッド・レコード〉でのリリースを実現させたのである。
「俺(れーお)」「村歌~わしゃ知らん節~」の2曲を除く全ての楽曲を三上寛が作詞作曲、坂本と佐藤が編曲を担当し、東映京都撮影所にて歌唱録音が行われた。本作は、歌い手に対する三上からの当て書き/オーダーメイド的に作られた楽曲たちが収められた作品でもあるそうだ。「2人(三上寛と役者)にしかわからない言葉なんか入っている」と三上はインタビューで語っている。実際の軍団の人物たちをモデルにしたと思われる、生々しく切なくも、熱苦しく情念に満ちた、やられ役(=フォークス)たちのブルースと小粋に溢れる珠玉のバラードに彩られた人間模様の詩世界。松本泰郎が内省こもった感傷的な歌唱を披露した「悪いと思っています」では、本当に監督にすまないと思いながら歌われており、切なく甘美なメロウ・フィーリングを纏ったサウンディングとオーケストレーションも相まってよりいっそうカタルシスを喚起させる。
軍団の各メンバーたちの、繊細ながらも真っ直ぐな内面世界に迫った、愁いに満ちた親密な歌詞もまた魅力的だが、一人一人が極めて個性的な彼らの心模様と同じくらいに、坂本と佐藤によるアレンジもまた色鮮やかなもの。クロスオーバーからラテン、ソウル、ファンク、ニュー・ミュージック、シティポップ、アシッド・フォーク、バレアリックといった多様な音楽視点から眺めることとのできる、純粋に音楽作品としても極めて高水準でありつつ稀有な一枚だ。左とん平「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」(’73)などの同時代の和グルーヴのファンならまず必聴と言えるだろう。
三上は、ピラニア軍団に関する後年のインタビューや座談会で「大袈裟な話に聞こえるかもしれないけど、私がいまこうして歌ってられるのも全部、ピラニア軍団の人たちと一緒にいたからなんです」、「あの人たちと出会わなかったら、私はきっと音楽をやめていただろう」とも回想する。
「あと何回生まれ変わったとしても、きっと私はあそこに行くんだろうと思います。ピラニアのみなさんと、また一緒にメシを食いたいですね。」
幻となっていた本作も2024年8月に待望のアナログ再発。貴重な初音源化のインスト・バージョンを追加収録したCD再発盤もリリース。各種プラットフォームでのサブスク解禁も行われている
戦後の激動の時代において、人知れずスクリーンの隅で輝いた、哀愁と人情の滲んだクセの強い名バイプレイヤーたち。男たちがその身を張り続けた数々の名作映画と併せて、歴史に埋もれたその影の主演作を是非ご体感あれ。
■プロフィール
門脇綱生(かどわきつなき)
1993年生まれ。鳥取県米子市出身。京都のレコード店「Meditations」のスタッフ/バイヤー。編著『ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド』(DU BOOKS)。Brian Eno作品などの国内盤ライナーノーツも複数執筆。ディスクユニオンで音楽レーベル「Sad Disco」主宰。Spotify公式「New Age Music」プレイリスト監修を手掛けるほか、「声優シティ・ポップ」「Japanese Techno/House」「Japanese Techno Pop」など、数々の人気プレイリストを個人アカウントでも公開中。
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