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細野晴臣、大滝詠一が参加した70年代の知られざる名盤『島まで10マイル』この作品を生み出したバンド“HOLD UP”とは?音楽ライター 金澤寿和によるインタビュー

細野晴臣と大滝詠一が制作に参加した知られざる名盤『島まで10マイル』(1978年発売)
オリジナル盤の解説で音楽評論家の小倉エージに「ーー全てを聞きおえた時には彼らのとりこになった」と言わしめたレコード。
サディスティック・ミカ・バンドとドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンドが出会ったような興味深い一枚。

この作品はのちに伝説的なミュージシャン集団 パラシュート、AB’Sに参加し村田和人、SHOW-YA、中山美穂への提供等、作詞家として活躍する安藤芳彦(Key)や、日本のニューウェイブを語る上では欠かせないバンド チャクラなどで活動した横沢龍太郎(Dr)らが
在籍したバンド HOLD UPのデビュー作だが、情報は少なくバンドの実態は謎に包まれている。
今回『島まで10マイル』の配信解禁に際し、バンドの中心人物であった安藤芳彦へ
音楽ライター 金澤寿和によるインタビューが実現。

細野晴臣・大滝詠一との出会い、南国志向である作品のリファレンス等から
60~70年代当時の日本の音楽シーンとリアルなインディーズの空気感を存分に味わうことのできるインタビューとなった。

文・構成:金澤寿和

2025.1.9


その他配信サイトリンクはこちら

— HOLD UPは和光大学の音楽サークルを母体にしたバンドですよね? 今もメンバー同士の交流が深いのは、それが理由なのでは?

安藤:みんながちょうど人生の分岐点に立つタイミングでした。藤田 (義治;g) は家の事業を継ぎ、山本 (達也;perc) はサロンのような音楽好きが集まるカフェ・バーを始めました。それは同じサークルからデビューした紀の国屋バンドの川辺ハルト (g) も同じでね。彼なんか箱根で江戸時代から300年続く老舗旅館でしょ。僕も当時はプロになるとは思ってなかった。それが偶然レコード会社に繋がり、“レコード出せるの?”みたいな感じで。プロになった人もならなかった人も、みんなココが人生のスタートでした。

箱根ロックウェルSt(レコーディングSt)にて

—レコード会社にはどう繋がったのですか?

安藤:中学からの音楽仲間である早川(泰/のちSHOGUNのマネージャー)君の知り合いがキングにいて。そこからディレクターの中田(佳彦)さんに話が行きました。中田さんは細野(晴臣)さんの立教の音楽仲間で、細野さんを大滝(詠一)さんに引き合わせた張本人。3人でオリジナル曲を披露しあうユニット:ランプポストを組んでいたんです。中田さんがすべての始まりでした。

— HOLD UPのレコーディングに細野さんや大滝さんを連れてきた方ですよね?

安藤:そうです。最初にビートルズがいて、日本では芸能界的なGS(グループサウンズ)から自主制作的なフォーク・ブームに枝分かれして行く時代です。フォーク・クルセダースの自宅録音「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットした60年代末。僕はそんな流れに影響され、中学、高校と複数のテープレコーダーを使って原始的な ダビングで音楽作りをしていました。その後、和光大で演奏力のあるメンバーと出会い、バンドという形になったのがHOLD UP。それをレコードという形にしてくれたのが中田さんです。細野さんとは以前からいちファンとして面識がありましたが、改めて中田さんが紹介してくれました。細野さんはリハーサルにも来てくれて、アドヴァイスをくれました。

当時のレコーディング風景

— HOLD UPの南国指向はどこから? それ以前はザ・バンドなどのコピーをしていたメンバーが多いようですが。

安藤:南部系のドクター・ジョン、ニューオーリンズとか、洋楽マニアが揃っていました。僕は洋楽知識やプレイヤー指向が薄く、いつも“安藤、コレ聴いたことないの?”と言われたし、ライヴでみんなに聴かせたいという意識もなかった。家もごく普通の家庭で、TVやラジオから流れる流行歌やポップスで育ちました。ただ振り返ると、洋楽ヒットの日本語カヴァーに反応していた。日本の曲でも洋楽の影響が強い楽曲に惹かれていました。中村八大さんとか。

— 音楽を始めたのは、中学の同級生バンドがキッカケですね?

安藤:アルバムにゲスト参加している前田(義秀/2022年に安藤プロデュースでソロ作発表)君と、録音機材に詳しく、ドラムも叩いていた中村誠君 (後にNHKのプロデューサー)。フォーク・クルセイダーズの影響だと思いますが、自分たちで曲を書かないと始まらないと考え、前田君の家に集まって曲を書いていました。最初から楽器の演奏や表現の追求には行かなかった。この3人の関係は高校時代も緩く続いて、自作曲をアセテート盤にしました。オリジナル曲を発表し合うという意味では、細野さんたちのランプポストと似たことを、僕らもやっていたんです。

— では本格的なバンドは大学から?

安藤:そうです。周りはライヴ・ハウスに出演したり、学内コンサートをやったり、みんな上手でね。和光大は自由な校風で、ひとつ先輩の佐久間(正英)さんが四人囃子のリハーサルをやっていたり、他校からも多くのミュージシャンが来ていました。パーカッションのマック清水と知り合ったのもそんな流れで。そのうち弟の信之君が紀の国屋バンドに参加し、HOLD UPを手伝ってくれた。藤田が安全バンドをサポートしていたので、僕も四人囃子やURC(浦和ロックン・ロール・センター)に繋がりました。

若き日の安藤芳彦

—HOLD UPの音楽性は、どのように固まったのですか?

安藤:う〜ん、自然にそうなった、としか言い様がないかな。自分がメンバーを集めた意識はありますが、個々の好みや音楽性は考えず、一緒にやりたい人を集めたらこうなった。その意味では、僕らはまさしく“バンド”でした。自分が詞曲を多く書いているので、みんなをリードしたように見えますが、実際はみんなに“何か曲はない?”と言ってました。でもメンバーの意識は、曲作りより演奏やアレンジにあったんでしょう。僕が譜面を書いて周りに指示するコトは一度もなかった。(横澤)龍太郎が言うには、“「パイナップル・ベイビー」は安藤のギター・カッティングが始まり。それを聴いてドラム・パターンを決めた”って。だから僕は素材を提供しただけで、あとはみんながアイディアを出し合って形にしていく。バンド全体によるヘッド・アレンジなんです。

—メンバー全員で英国の客船のハコバンを務めたそうですね。それでアルバムのコンセプトが生まれたとか…。

安藤:藤田君が描いた南国への船旅のイラストがレコードに封入されてますが、実際は神戸から韓国へ向かう10日ぐらいのクルーズで。メンバーがバイト先の音楽バーから話を持ってきて、“面白そう”と受けることにして。実際すごく楽しかった。まだウォークマンが出る前で、でっかいデンスケにたくさん曲を入れて、ヘッドフォンで聴きながら神戸の港を歩いてね。乗船前から盛り上がってた。仕事は夜だけで、もうひと組フィリピンから来たハコバンがいて、歌も演奏もレヴェルが高くて、ショーを盛り上げるのも上手い。オレたち大丈夫?と心配になりました。でもとてもセレブなクルーズ・ツアーで。後でパーカッションの山本達也に聞いて知ったんですが、主催が宝石商で、顧客を招待して韓国を観光しながら宝石を売る、そんな企画でした。有閑マダムのお酒のお相手を楽しんだメンバーもいたとか。そんな船旅があって、アルバムのコンセプトが生まれたんです。

『島まで10マイル』のコンセプトとなったクルーズ船

— 面白いエピソード満載ですね?

安藤:その対バンの女性シンガーとベースの戸田吉則がデッキで話す機会があって。名前がJasmine。英語だとジャスミンですが、タガログ語だとハスミン。その話をネタに<Jasmine>という曲を書きました。これはHOLD UPでは使われず、パラシュートでレコーディングしました。僕が曲を書く時は、こうした事実や自分の体感を膨らませることが多いんです。

—でもダジャレやユーモアを交えながら、作品にまとめ上げたのがスゴイ。

安藤:詞やアレンジの直しはやったはず。でも自由度は高かった。僕らから生まれるアイディアを、中田さんがうまくリードしてくれたのでしょう。

— そうした笑いのセンスはどこから?

安藤:僕はトニー谷。そろばんをジャカジャカ鳴らし、リズムを取って歌う人です。彼の「さいざんすマンボ」のSPレコードが家にあって大好きでした。それとクレイジー・キャッツ。その辺りはフォーク・クルセイダースやはっぴいえんどではなく、むしろ大滝さんや細野さんが子供の頃に見ていたであろう戦後間もない頃の原風景を、幼児だった自分も少し後に見ていた気がします。もちろん大滝さんほど研究してはいないけど。

—洋楽は? ドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンドの影響がありそうですが。

安藤:大好き。ハマってました。ただよく考えると、僕が彼らを知ったのはHOLD UP活動休止後なんです。実家のSP盤の中にあった欧米のジャズやダンス・ミュージックも好きでした。サヴァンナ・バンドに懐かしさを感じて惹かれたのは、そんな50年代のジャズの影響かもしれません。

— 結局HOLD UPはどれくらい活動したんですか?

安藤:前身としてBaby Brandやブリンジ・ヌガクがありますが、HOLD UPを名乗ってからは2年も活動していない。それこそアルバム発売後は半年も続かずに活動停止してしまった。最初に龍太郎が抜けると言い出し、後釜を探したけど噛み合う人が見つからずで。中田さんには申し訳ないことしました。

— でも大学サークルで生まれ、自然に音楽性が定まったバンドなら、ハイ交替、とはいきませんよね?

安藤:そうなんです。みんなが好き勝手をやっていたようで、いつの間にかその人じゃないと、という形になってた。この前龍太郎に抜けた理由を訊いたら、“当時、自分は体育会系の性格で、もっとバリバリ音楽をやりたかった”って。ライヴも月に1〜2本あるかどうかで、どこまで真剣なのか分からないバンドでした。…(笑)

左:横沢龍太郎 右:安藤芳彦

— 安藤さんもフロントに立つタイプではなかった…

安藤:僕は感情を込めて熱く歌うのが苦手なんです。もぅ恥ずかしくてね。僕が細野さんから最も影響を受けたのも、実はソコです。ああした詞、語り口でいけば、自分も恥ずかしがらずに感情移入せず歌えるって。自分の詞曲で素直に歌える方法を教えてもらった。ギャグ要素を入れて最初に認めてもらったのが、前田君と書いてヤマハのポプコン(1975年のポピュラーソングコンテスト)で入賞した「今晩来ないか」でした。さきイカがテーマでね。

— リード・シンガーではなかったんですよね?

安藤:違います。ポプコンは作品だけの応募です。歌いたい気持ちなんて、そもそもなかった。だから他のメンバーが歌った方が面白くなると思えば、そうしました。ディレクター的感覚だったんでしょう。スタジオのコンソールの前にいるのが好きでした。実はキーボードもこの頃始めたんです。メンバーが抜け、鍵盤がいないと困るので、仕方なく楽器を買って。クラシックの訓練は受けてないので、後のパラシュート時代に、スタジオ・ミュージシャンとしてブッキングされたりすると冷や汗かきながら弾いてました。

—「コラソンDEデイト」はNHK『みんなのうた』に採用されました。当時あの番組でポップスはかなり珍しかった。

安藤:童謡や唱歌中心でしたよね。おそらく中田さん人脈だと思います。叔父さんが「ちいさい秋みつけた」や「めだかの学校」、「夏の思い出」などを書いた作曲家の中田喜直先生で、レコード会社も教育関係に強かったので(キングは古くから『みんなのうた』関連のパッケージを多数発売)。

— コーラス参加のパパイヤモンキーズとは?

安藤:前田義秀君と中村誠君、もう一人細野さんと幼馴染みだった人の従兄弟の玉川顕文君です。みんな学生時代の音楽仲間。だから友人が遊びに来たノリで参加してくれました。それとクレジットにはないのですが、アルバム最後の「島まで10マイル」は、細野さんにリハーサルでパーカッションのアドヴァイスを頂きました。

—最後に、今になっての配信スタートはどんな感想ですか?

安藤:まずはあまり触れられませんでしたが、多彩なアイデアでアルバムをカラフルに彩ってくれた中村哲さんに改めて感謝です。他にもマネージャーだった蓮沼健さんはじめ、多くの方のご協力でレコードという形にして残せたからこそ、45年前には想像もできなかったネット配信という方法でいつでも誰でも聴けるようになりました。「若いリスナーの心にも届くかも…」という今回の配信を司るキングレコードの若いディレクター氏の言葉が本当に意外で驚きました。でも今の音楽に親しんでいる若い人にも、何かの拍子に発見してもらえたら嬉しい、 と思っています。

 

 

収録曲
A1. パイナップル・ベイベー(安藤芳彦作詩、作曲)
A2. キャプテン・パラダイス(藤田義治作詩、作曲)
A3. オーガスト・ガール(安藤芳彦作詩、作曲)
A4. 東京“あーぱー”ジルバ(安藤芳彦作詩、作曲)
A5. 横浜ストローリング(安藤芳彦作詩、作曲)(Inspirationed by 兵藤未来)
B1.沖を渡る夏(安藤芳彦作詩、作曲)
B2. コラソン DE デイト(安藤芳彦作詩/前田義秀作曲)
B3. 今夜はちょっと(安藤芳彦作詩、作曲)
B4. ローリング・プリンセス(安藤芳彦作詩、作曲)
B5.島まで10マイル(安藤芳彦作詩、作曲)

A2:Steel Drum(細野晴臣)
A4:Chorus(大滝詠一)
A5:marinba(細野晴臣)
B2:Arrangement,Steel Drum,Marinba,Synthesizer(細野晴臣)
B3:Arrangement(細野晴臣)

 

■プロフィール

金澤寿和(かなざわとしかず)
70〜80年代の都会派サウンドに愛情を注ぐ音楽ライター。
CD解説や音楽専門誌への執筆の傍ら、邦・洋ライトメロウ・シリーズほか新作CDや復刻作品の監修、コンピレーションCDの選曲などを多数手掛けている。
2004年に刊行した『Light Mellow 和モノ』は、後のシティポップ・ブームの礎を作ったディスクガイドとして重要な存在。現在はライフワークである洋楽AORのディスクガイド『AOR Light Mellow Premium』シリーズが進行中。
ほぼ毎日更新のブログは、http://lightmellow.livedoor.biz

 


【番外編】
安藤芳彦によるHOLD UPメンバー・関係者紹介(原文ママ)

今回のサブスク配信解禁にあたり、金澤寿和氏のインタビューを受けました。なにしろ50年も前の話です。
自分の記憶だけでは心もとなく、久しぶりに関係者に連絡を取り、当時の思い出を聞かせてもらいました。
私も初めて知るようなエピソードがいくつもありました。これはその時のメモをまとめたものです。編集部のご配慮で番外編としてメンバーの生の声を掲載できるのはとてもありがたく、HOLD UPがどういう若者の集まりだったのかを記録しておく貴重な機会となりました。皆様にもお楽しみいただけたら幸いです。

安藤芳彦

横澤龍太郎 Dr., Vo 1954.3.9 HOLD UP
・その他参加バンド:紀伊國屋BAND、チャクラ、はにわオールスターズ、ネーネーズ、友部正人、原マスミ、Ring Links、パスカルズ

・好きだった音楽:イギリスのロックいろいろ, The Band, アメリカ西海岸から南部の音楽などなど

・レコーディングの思い出:
レコーディング中に細野さんが僕の所に来てフロタム(ラディック)を叩いた。驚くほど良い音がしたので感動した。
チャクラの2枚目『さてこそ』で細野さん宅を訪ねてプロデュースを依頼。「エンジニアとして参加します」とのお答え。ジョンハッセル(アンビエント)がかかってたのを覚えてる。細野さんがアルバム全曲を数時間で仮ミックス。ほぼ完璧でびっくり。
『大瀧詠一プロデュース・イエロー・サブマリン音頭』にパーカッションで参加。

◆ 戸田吉則 Bass, Vo 1955.2.27 HOLD UP
・その他参加バンド:SPY、BANDA PLANETARIO

・好きだった音楽:The Band, BEATLES, はっぴいえんどを中心とした日本のミュージシャン達。

・レコーディングの思い出
細野さん
箱根のスタジオに置いてあったシンセを触ったらコズミックサーフィンが流れてきた。箱根ロックウエルで作曲したのかな?『コラソン』で細野さんが1人でスタジオ入りして、最初はドラム中心のアレンジだったのが、ちょっと席を外したらベース中心になっていた。
出来たばかりの『ハライソ』を聴かせてくれたり。UFOの話で盛り上がったり。

大滝さん
東京”あーぱー”ジルバのコーラスは大滝さんがその場で考えてメンバーと一緒に1本のマイクを囲んで録音。
コーラスの歌詞も大滝さんのアイデア、アッパジルジルをナッパジルジル→ナットジルジルの流石のジルジル三段活用。
その後、大滝さんは後楽園球場に日ハム戦を観に行きました。

中田さん(キングレコードディレクター)
大滝さんと細野さんのラジオなどで(お二人が)中田さんから色々教わったなど話を聞くと、もっと教えてもらえば良かったと思います。因みにうちにもよく酔っ払って電話来ました。

HOLD UPについて
先ずはドラムの横沢龍太郎。叩き姿がカッコ良くって。ドラマーは叩き姿です。ベーシストはドラマーの叩き姿にほれます。絶対にこの人とバンドやりたいと思いました。
『ブリンジヌガグ』は(安藤と)3人で始めたバンドです。その前に龍太郎とドラムとベースだけでThe Bandのコピーをしていた時期もあります。パーカッションの達也は身近にいたので、自然とバンドに馴染んだ感じ。奇跡だよね。

◆ 藤田義治 E.Gt.,Vo 1954.9.29 HOLD UP
・好きだった音楽:The Rolling Stones、The Band、The Crusaders、Danny O’Keefe、Geoff Muldaur、Amos Garrett、Ry Cooder

・レコーディングの思い出
子供の頃、細野さんの家と近所だった。(細野さんは7歳年上)
先日ラジオで細野さんとお姉さんの対談を聞き、白金小学校に通っていたとの事。私も目黒から徒歩で白金まで通っていたので近所をうろついていたかもとチョット楽しくなりました。ご自宅に遊びに行った事もあります。部屋の畳と机と小さな庭からの光が凄くきれいだったと記憶しています。
細野さんは箱根のレコーディング合宿に来てくれ、宇宙人や精神的に落ち込んだ時の対処法など大人の話をしてくれた。『コラソンDEデイト』のアレンジでひたすらコンソールの前で音を入れたり出したりしている姿は目に焼き付いています。
レコーディング当時、ギターについての話は全くなかったけど、私がボソッと「こんなんでレコードになるのかな~」と言ったら、何言ってんのという感じで「あ、ウンウン」と言われた。キングのスタジオの隅にあった古~いフェンダーアンプにストレートに繋いで弾いた『島まで10マイル』のギターソロが一番好きです。

◆ 山本達也 Perc, Vox 1955.8.22 HOLD UP
・好きだった音楽:TajMahal Music Fuh Ya、Van Dyke Parks、The Band、Bob Marley

・レコーディングの思い出
子供の頃に住んでいた官舎が ”ゆでめん”の録音されたアオイスタジオの隣だった。
塀を乗り越えるとアオイスタジオの駐車場。そこで子供だった自分はスパイダースのローディと仲良くなりボロボロのドラムスティックをもらった。初めて手にした楽器はザ・スパイダースの田辺昭二さんのステックだった!
中学生の頃には仲間とはっぴいえんどのコピーもした。
麻布十番の京浜楽器店に学校帰りに寄り道、美人の店員さんにいろんなレコードを聴かせてもらっていた。ある日「これ聴いて」と出されたのが “エイプリル・フール”だった。その女性ある有名作詞家の妻に。細野さん、松本さんとは子供時代に同じ景色を見ていたと思う。
HOLD UPは、都心で遊んでシモキタでバイト、鶴川の和光大が活動拠点で、海に行くのは江ノ島、湘南。藤田以外のメンバー全員が小田急沿線に住んでました。言ってみれば『小田急線サウンド』です。

◆安藤芳彦 Keys, Mandolin, E.Gt., Vo 1953.11.7 HOLD UP
・その他参加バンド:パラシュート、AB’S、並行して原盤制作ディレクター、作家活動。

・好きだった音楽:60年代の洋楽の日本語カヴァー曲、フォーククルセダース、Beatles、やっぱりはっぴいえんどは外せない。

・レコーディングの思い出
子供の頃からテープレコーダーで遊ぶのが好きだった事の延長でレコーディングは全てが楽しい。
細野さんのスチールドラムを箱根に運ぶ役目の山本達也が世田谷通りで追突事故を起こした事。おもわず「楽器、大丈夫?」って聞いた。レコーディングの1年くらい前、HOLD UP全員で英国の客船でパーティバンドのアルバイトをした。この船旅でアルバムのコンセプトが自然発生的に生まれ、全員がイメージを共有できた。バンドにとって旅は大事。

・細野さん、大滝さんの思い出
初期に作詞した村田和人君の『So Long, Mrs.』を大滝さんがとても気に入ってくれて、カセット片面全部『So Long Mrs.』にして車でエンドレスで聞いていてくれた。後日、ラジオでその事を知り大変嬉しかった。
細野さんは勝手に師匠だと思ってる。ご本人曰く「そういう人多いんだ、皆んなより年上だからしょうがないね」との事。YMOのレコーディングに遊びに行った時、たまたま持参していたA3のスケッチブックに即興でイラストを書いてもらった事がある。すごく近代的で抽象画のような素敵なイラスト。家にあるはずなのに40年以上行方不明でずっと気になっている。

◆ 前田義秀 (ゲスト参加)Piano Cho, 1953.10.16
安藤とは中学の頃から一緒に曲作りを始めた。企業人として日本のGDPに貢献したエンジニアでもあるが、若い頃からのギャグのセンスは只者ではない。初期の作品でポプコンで入賞した『今晩来なイカ』はほとんど前田義秀の作詞のはず。

・好きだった音楽:Carole King、James Taylor、Joni Mitchell、CSN&Y

・レコーディングの思い出
『コラソンDEデート』の録音で、細野さんのスチールドラムの演奏が異常に上手くて、それが入った途端に曲が完成形になったこと。
キングレコードのスタジオに突然、大滝さんが現れて、その時録音していた曲のコーラスに参加、「ベェ~」と言いながらコーラスをやって、それが何の違和感もなかったこと。自然に囲まれた箱根のROCKWELLスタジオでの録音だったのが一番印象に残ってる。
いい環境がいい音楽を作るということを分かっている人達がいるんだと強く感じた。

◆ 早川泰 promax inc. 1954.3.16
キングレコードとコーディネートしてくれたバンドの恩人。安藤、前田とは中学の同窓生。
13才で初めて会った時にお互いに「どっかで会った事あるよね」という事になったが、結局どこで会ったかは不明。前世か?

・中田さんの思い出
キングの杉田さんにHOLD UPのデモを持って行った時に、「自分より中田の方が好きだと思う」と紹介されたのが知り合ったきっかけです。人のいいおっさんで、話が合ったし、何故か子生意気な私を面白がってくれましたね。酔うと夜中に電話がきて、自分の好きなトムダウト、バンダイクパークス、バカラックとかいい頃のアメリカの音楽の話を延々としてね、なかなか切らないんだよね。その辺りの知識は、豊富で、大滝さんや細野さんあたりとは、相当仲良しだったよ。
あたたかい人で、のんびりしていて、酒を飲むと楽しかったな。

◆ 中田佳彦 キングレコード ディレクター 1947.8.10~2004.6.4
全てはこの方から。まさにアルバム『島まで10マイル』の生みの親。
アルバムには遊び心で(?)仲田佳彦と表記されている。
細野晴臣氏と大滝詠一氏をひき会わせたキーマンとしても有名で、御三方で『ランプポスト』というオリジナル曲を披露し合うユニットを結成していたという話はもはや伝説となっている。
作詞家、作曲家としても活動。大瀧詠一ファーストアルバムの『おもい』では編曲家としてもクレジットされている。
よく酔って電話くれた。「猫のアルバムを作りたいんだけど、猫の声で作れないかな」という話しをした記憶がある。今なら簡単だけど40年も昔だから実現しなかった。

ARTIST

  • ホールド・アップ

    HOLD UP

  • 細野晴臣

    HARUOMI HOSONO

  • 大瀧詠一

    EIICHI OHTAKI

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